裂けた大地の物語

いにしえの眠る町---ベル・ヴィーレン

1. 町中の出版社---エレ・ヌ・ヴェロホウセ

グランドウの地の西側には、沢山の人間モルが住んでいた。 巨大な運河と外海に続く塩湖に面した二つの国テリト・リオン、マルガン・リオンと少し離れて山脈を背にしたグリエト・リオンの三国に挟まれた土地と各国の周辺には沢山の町や村が密集していた。 地形や気候風土に恵まれているこの場所は、古の昔から栄えていたと言われている。

西側の大地には他にも国があり、いずれも古い歴史を持っているが今は触れないでおく事にする。


グリエト・リオンの領土に含まれているが、三国の丁度中間点辺りに位置する所に、大きな町の一つに数えられるベル・ヴィーレンという古い町がある。 既に町と呼ばれるようになって数千年が経っていると言われている。 大きな町として大いに賑わっていながら、町の全貌は古めかしい石畳とくすんだレンガ、そして燻された古木で統一されている。 誰がそうしたというのではなく、昔からそうなのだ。

ベル・ヴィーレンには当然のように町の中心を大きな公道が横たわっている。 人や物の往来が絶える日は無い。 商人、学者、芸人、旅人等、一般人から貴族階級まで実に幅の広い人々が集まってくる。 必然的に商売も教育も活気付き、巨大な市場や各施設も充実する一方で治安の良くない場所もできる。 物々しい警備体制が整えられる一方で、地元の人々が世間話をしながら朗らかに生活する。 恐らく数千年の昔から変わらない町の姿だ。


公道からは離れ、小さな店々が軒を並べる地元民でささやかな賑わいをみせる辺りに、その家はあった。 通りに面した一階には、小さな出版社の看板がかけてある。 二階と三階が居住域、屋根裏には小さな丸窓が一つ付いた、こじんまりとした佇まいだ。

「ありがとうございましたー」

一階の扉が、ドアベルのカラコロ響く音と共に開き、帽子を被った外套姿の紳士が出てゆくと、すぐ後を店の者と思われる子供の声が追いかける。 通りを歩いてゆく紳士の後姿に向かって一礼をする子供が振り返らないうちに、店の中から別の子供がひょっこりと顔を出した。

「ラスタム、そっち終わった?」

「うん、たった今」

「じゃ、こっち手伝ってよ」

短く言うと、すぐまた引っ込んでしまった。

見送りをしていた方は、扉が閉まる前に素早く店の中へ姿を消す。 扉に跳ね返って鈍くカラコロ音を立てていたドアベルの音は扉がぴたりと元の位置に戻ると共に、表の騒音の所為もあって通りからは聞こえなくなった。


店の中には他の客はいない。 だが、奥の方ではガサガサと忙しい音がする。 そちらに入っていくと、少年が一人でせっせと口を大きく開けた機器の前で用紙を補充しているところだった。

「今日中にあと百部作れだなんて、無茶もいいところだよ!」

「それって、もう半分は作り終えたんだね」

「そうだよ、おかげでこっちは昼抜きなんだから。 この調子じゃ夕飯も抜けって言ってるようなもんだね」

用紙を揃えると、長い取っ手をがちゃがちゃと上下し始め、人力印刷を再開する。 額には玉のような汗が浮いていた。

「少し休んだら? 今日は早めにお店閉めたら、交互に作業出来るじゃない」

「普段はほとんど仕事なんか無いのに、時たま来たと思ったらこれだもんな、毎度の事ながら依頼者には加減ってもんが無いんだから」

ぶちぶちと不平を零しながらも、少年の手は物凄い速さで上下している。 そんな様子を見てラスタムは少し可笑しくなった。

「本当だね」

用紙を継ぎ足していたら、もう手元の用紙が無くなってしまった。 倉庫からまとめてとって来ないと、行ったり来たりするだけで疲れてしまう。

「用紙とってくるね、他に要る物あれば一緒にとってくるよ?」


「糸と時間!」


その返答に思わず声に出して笑ってしまった。 製本用の糸はとってこられるが、時間はどうする事も出来ない。 言った本人だって、そんな事は重々承知の筈だが、言いたい気持ちも良く理解できた。

「分かった。戻ったらご飯も用意するから、やっぱり一度交代しよう?」

ラスタムの言葉をちゃんと聞いているのか、いないのか、少年は脇目も振らずに一方の腕は長い取っ手を掴み上下させ、もう一方の手は短い柄を回転させて印刷した用紙を滑らせていく。 その姿を見て軽く息を吐き出すと、ラスタムは倉庫へと入って行った。


「あと百部あるんだよね、えーっと」

千枚入りの包みをごっそりあるだけ取り出すと、その棚だけぽっかりと穴が開いた。

「師匠に言っておかなくちゃ」

隣の棚まで使いきってしまったら、用紙が無くなってしまう。 ただでさえ手に入りにくいポムの木の皮で作る高級紙なのに。

「こんな良い紙を表紙じゃなくてページに使うなんて、何を考えてるんだろう」


戻ってくると、印刷機の前には誰もいなかった。 中途半端に放置された印刷物が数枚そこらに散らばっている。

「ダイオン?」

用紙を置いて店の方に出てみると、ダイオンが頭からトンカチでも出しそうな形相で足音も荒く店の中に戻ってきた。 扉に鍵を掛けたところをみると、どうやらもう店じまいをしたらしい。 しかし、それにしてもこの荒くれようは何だ。

「どうしたの?」

「例の依頼者が来たんだよ、厭味ったらしく、まだなんですか? だってさ! 頭くるよな、今日の午前中に一方的に注文寄こしたくせしてさ」

「それにしても随分短かったんだね、ここにいたの?」

「買い物帰りに通りがかって寄ったんだと」

「じゃ、大した用事じゃなかったんだ」

「そういう事。 たかが自伝にポム皮使うなんて、道楽にも程がある!」


憤慨するダイオンを他所に、ラスタムは食べ物を見繕いに行った。 ラスタムを加えた今の生活が始まってから、十年の月日が経っていた。

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2005.02 掲載(2009.08 一部加筆修正)

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