ファンタジー小説

ひつじのやぶ医者

ひつじのやぶ医者

04.そろそろ帰る時間

「怖い?」

「その人たちが何かするわけじゃないけど、いるだけで怖いんです……怖がりの自分も大嫌い。 全部嫌なんです」

「全部?」

「今風の子ってまとめられるの嫌だし、近所の人とかの視線も嫌だし、勉強もキライだし、かといって特別遊びたいわけじゃないし、とにかく日常がグチャグチャしてる感じもキライ……です。 不安かどうかなんて、よく分からない」

「なるほど。 少し思い詰め過ぎているんじゃないかな? 聞く限り、自分を悪者にしてしまっているような印象を受けますが」

「だって悪者だもん。 さっきのアレ見たって分かるじゃん」

「そう思い込んでいるだけですよ。 私はそうは思いませんよ」

「なんで?」

顔を上げた岡本圭は、とても驚いた表情をしていた。 生まれた初めてそんな言葉を聞いたと言わんばかりで、むしろドクターの方が咄嗟の返事に困った程だ。

「な、なんでって……」

「だって、あたし超性格悪いよ? 頭も悪いし、言葉だって悪いし、サボリ癖ありありだし、ナマイキだし……」

自分の悪い所ばかりを連呼している岡本圭の表情はすっかり困惑していた。 こんな自分を静かに眺めているドクターの笑みが、菩薩のそれのように思えて、次第に彼女の勢いが弱まっていく。

 

「あなたは悪者じゃありません。 多少、無茶苦茶ではありますけどね」

 

ドクターの穏やかな言葉に直面し、岡本圭は一瞬の空白の後、みるみる顔面を赤らめていく。 顔から火が出るという表現の通り、小爆発を起こしたような赤面振りだ。 確かに感情の起伏はまだまだ激しいが……岡本圭の表情は明らかに晴れ晴れとしていた。 無理に照れ隠しはしていたが、少なくとも強がりの類は消えていた。 これなら、少なくとも当分の間は紛れ込んでくる事もなくなるだろう。

ドクターの顔にも安堵の色が浮かんで消えた。

 

「あのさ、そろそろ家帰んないとヤバいんだけど、どうやって帰ればいいの?」

 

岡本圭の言い分はもっともだが、そんな事ドクターにも分からなかった。 ただ、言える事と言えば……

「帰りたくなったら、何もしなくても帰れるそうですが、詳しい事は私にもちょっと……」

頭を掻きながらボソボソと口篭もる。 最後まで頼りにならないドクターで、岡本圭は眉をしかめた。 容赦の無い言動は吐かなかったが、代わりに巨大な溜め息を吐いた。

「何ていうか……あえて言うなら、もう少し医者らしい事言ってほしいなぁ」

その様子を見て、ドクターは面目なさそうに乾いた笑いを漏らした。

 

「くれぐれもお大事に。 気を付けて帰るように」

「うん、そっちのがいい! ありがとう。 結構、面白かった」

 

その言葉がスイッチであったのかは定かではないが、とにかく何かのきっかけであったのは間違いない。 プロ級に操縦の上手くなった紙飛行機が、突然失速し、ひゅるひゅる落ちていった。 木の葉の如く真っ逆さまに、このまま紙飛行機と心中するのかと思うと、思いっきり叫んでいたのである。

「気を付けて帰れるかー! ぶぁーかーぁ!」

そして再び、あの光景が……だんだん景色が流れる線の如く見え出して、頭がくらくら、くらくら……。

 

ぴるぴるぴるぴる〜

 

『間もなく発車しま〜す、閉まる扉にご注意ください〜』

 

はっ。

かくんとつんのめるような感覚と共に目を覚まし、思わずビクッと跳ね上がると、調度電車のドアが気の抜けた音と共に閉まるところだった。 すかさずプラットホームの駅名を確かめると、本来自分の降りる駅で、慌てて立ち上がってドアまで走ったが、間に合わなかった。

(しまった、降り損ねた……そして超目立ってる)

何事かと乗客の注目を一身に集め、ようやく恥ずかしくなって再び座席に着く事が出来なくなってしまった。 それにしても一瞬の油断で降り損ねるとは……しかも普通電車でそういう事するか、普通。 自問したところで答えは出なかった。

何となく、ぼーっとしていて気が付いたら駅だった。 ぼーっとしていた間、何を考えていたのかは思い出せないが、何となく走馬灯のような速さの夢を見ていたんじゃないかと思う……でも、どんな夢だったかは定かじゃない。

次の駅に着いて、しょうがないからそこで降りる。 プラットホームに立つと、ふんわりと風が吹いていた。 よく思い出せないけど、何となく……

「ちょっと楽しかった、かな」

電車に乗った時とは180度違って、珍しく機嫌が良かったから家まで一駅分歩く事にした。 気持ちが晴れると心なしか足取りも軽くなった。 視界すらほんのり明るく見えてくるから不思議だ。 よし、明日はもう少し頑張ろう……かな。

 

○×△☆□

 

そして、ようやくカルテ飛行機から解放されて自分の診療所に帰り着くことの出来たドクターは、自分の診療所を目を擦ってよーく見直した。 診療所に今までになかった長蛇の列。 一体何が起こったというのか、驚いて駆け込み、診療室に飛び込んで更に驚いた。

そこには大きく 『チャムちゃんの出張占いの館 100%当たります』 と看板が立てかけてあったのである。

「チャムちゃん? 君、何しているのかな、これは」

「何って、占いだに。 大繁盛だに」

「いや、そもそも私の診療所なんだけど」

「ちゃんと留守番してたに、お客さん喜んでくれてるに」

「お客さんじゃなくて、私の患者さんだろう」

小さくなっていたチャムちゃんは首根っこを捕まえられて、そのままスタッフオンリーの別室に放り込まれた。 ドクターがめちゃめちゃ怒っている事を悟って、仕方ないから大きくなるが、態度は相変わらず悪びれていなかった。

「ちょっと、掴まないでよ、服が伸びるでしょ。 別に問題があったわけじゃないんだから、そんなにカリカリしなくたっていいじゃない」

「問題あるだろう、私の診療所で勝手に商売して、しかも私の患者さんを対象にしていたんだからね!」

「占い聞いたらケロっとして帰っていったもーん」

「チャムちゃん! ケロっとしているのは君の方だろう!」

「ドクターの方が問題あり過ぎでしょ。 そこの記録帳で全部知ってるんだから! 患者さんに最後まで振り回されっぱなしだったじゃない」

その時、待合室から呼び声がかかり、ドクターはそちらの応対に向かう事になった。

「とにかく後で、きっちり話し合おうじゃないか、え?」

先に患者さんの様子を診に行ったドクターだが、待合室の約8割はチャムちゃんの占い目当てのお客さんだった。 外に至ってはほぼ99%がお客さんだったのである。 ほんの一日足らずで診療所を乗っ取られてしまった事に結構ショックを受けつつ、珍しく怒りを満面に浮かべて別室に戻ったが、部屋はもぬけのカラだった。

(しまった、逃げられた……)

この日一番の功労者は、大きく溜め息をついてコーヒーを入れに行った。 世の中と自分の立場に多少の疑問を抱きつつ、その日を締めくくり、机の上の記録帳を開いて読み、折角入れたコーヒーを吹きこぼしたのである。

おしまい

2003年、当時所属していた文芸部の部誌に投稿した作品です。 お題「ひつじ」というわけで、何を書こうか色々考えていた時に思いついたのが、迷える子羊という路線でした。 (実際には、迷える爆走娘となりましたが)。

思春期って色々ありますよね。始め、圭ちゃんの口の悪さ、態度の悪さに面食らう読者様もいらっしゃいました(笑) そんな不安定な圭ちゃんを、ほんわか癒してくれるヘタレだけど人の好いドクターがぽぽんっと浮かび、得意分野であるお笑いと不思議テイストを盛り込んだら、こんなお話になりました。

そして、この二人だけでは話が締まらないので、万能調味料の如くチャムちゃんが乱入し、めでたく「魔法通り」シリーズの一つに収まったわけです。

2003.02 掲載(2012.07 一部加筆修正)

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