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ひつじのやぶ医者

ひつじのやぶ医者

03.郵便ボトルとひつじ

「ねえ、さっきから気になってるんだけど、あの空飛んでるボトルは何なの? 新種の暴走族?」

 

散々大空を引き回されてドクターの目の下にクマが出来始めた頃、ふいと岡本圭が空を飛ぶボトル集団の行き交う様を指差した。 空を飛び始めてから、これらの集団を頻繁に見かけるのだが、改めて不可思議な光景である事に気付くにいたったようだ。

 

「あれは郵便屋さんですよ。 運ぶ手紙の重さと届ける距離によってボトルの大きさも羽の大きさも違います。 届けるまでは何があっても飛び続けるんです、もっとも破損すれば別ですけど。 事故も少なくないんです、気を付けて下さい」

「ボトルと交通事故? バカじゃん」

大真面目に説明するドクターをすっぱりと一言の元に切り捨てて、またしても自己中心的に飛び回る。 どこの世界にも最低限のモラルと共に交通マナーはあるものだ。 当然それを無視していればいつかは事故を起こす。 岡本圭だって例外ではなかった。

 

散々ドクターが気を付けろと言っていたにも拘らず、ボトル集団のど真ん中を突っ切り接触事故の火付け役を買ってしまった。 もっとも、正確に表現するならば、接触したのはボトル同士だったわけだが、それで方向感覚の狂ったボトル達が面白いようにぶつかり合って弾け飛び、粉々に割れて落ちて行く。 空中でも地上でも、まるで悲鳴のような耳障りな破壊音が轟いた。

 

きらきらと太陽光に乱反射したガラスの欠片と、空中で散々に引き裂かれた配達物の織り成す、一種の狂騒的な光景から岡本圭は目が離せなくなった。

 

素晴らしく上達した飛行テクニックで事故そのものには巻き込まれなかった岡本圭だが、事態は予想以上に大変な事になったと理解した時には、既に周囲でけたたましいサイレンが鳴り響いていた。

先程の光景を白昼夢のように感じながら、ぼーっと眺めていると、突如としてドクターの紙飛行機が急発進して岡本圭を現場から連れ出した。 とにかく飛び続けて数十分、ようやくスピードが緩むとドクターは全身全霊でハンターから逃げ切った小動物に良く似た形相で、ぜぇ〜はぁ〜息をついていた。

「もしかして、逃亡?」

「誰のせいだと思ってるんだ!」

あまりに他人事なので、ドクターもとうとう毛細血管がプッチンと音を立てた。 岡本圭を真っ向から見据えると、不安定な紙飛行機の上で正座する。 そして、彼女にもそれを促すと改めて大きく深呼吸を一つ。

「君の場合は事情が特殊だから、この世界で問題を起こすと厄介なんだ。 私としても、ああいう行動は不本意だけれど、正直なところ仕方ない。 だって君は紛れ込んでしまった子なんだからね」

「紛れ込んだとか、来ちゃったとか、あたしよく分からないんだけど! 何か、あたしが全て悪いみたいじゃない? あたしだって別に来たくて来たんじゃないし、来る気なかったんだから、ふつー考えて被害者でしょ!?」

俗にこれを逆ギレと言うが、岡本圭にとっては当然の主張だった。

ドクターはただ黙って様子を見ていた。 むしろ大声で怒鳴り散らしてもらった方が、まだ開き直って怒鳴り返せるのに。 やり場の無い、彼女自身もどう処理してよいか分からない憤りのまま、拳をバンバン紙飛行機にぶつけた時、深い折り目の間からヒビの入った小さなボトルがピョンッと飛び出した。 さっきの事故で、すっ飛んで入り込んでしまったらしい。 羽が片方もげていた。 それでも残った羽を広げて目的の方向を向いてもがいている姿が、ただの瓶のくせして痛々しい。 掌のそれを眺めて、岡本圭は黙ったまま俯いた。

 

○×△☆□

 

「真昼間から事故るなんて、頼りにならないばかりか下手したら現行犯逮捕じゃない。 もう、ドクターったら! 運動神経ないのに逃げ切った事がある意味奇跡ね」

 

その頃、チャムちゃんは深い溜め息を吐いていた。 彼らを送り出してからずっと万年筆が独りでに、せっせと記録帳に一部始終を綴っている。 時々挿絵が挿入される辺りが多分記録帳の遊び心なのだろう。 といっても、記録帳はあくまでも客観的な情報しか載せないから、当事者たちの心理状態まではさすがに分からない。 それでも、状況を知るには充分だった。

 

「へえ、手紙届けに行くんだ。 けっこう可愛い事するじゃない、子羊ちゃん」

 

午後からの診察時間が近づいてきたので、チャムちゃんはスタッフオンリーと標識されたプライベートルームを後にした。 もちろん、診察ではなく本職を発揮しているわけだが、ドクターのいない間に好き放題に羽を伸ばしているといわれても仕方がない。 チャムちゃんが出て行った後も、記録帳は黙々と状況を綴り続けていた。

『お届け物は15分ほど紙飛行機で飛び続けて、無事に受取人である魔法通り 6:06:48 の住人に届けられる。 なお、途中、ドクターの紙飛行機が帰宅途中のカラスの親子に因縁をつけられ難儀の模様……云々』

 

●×▲★■

 

「あらあら、わざわざご苦労様。 随分時間がかかったじゃない、今日の午前中には届くって聞いていたのに」

小さな郵便物を届けた先の住人は、お礼とも皮肉ともつかない曖昧な言葉と共に満身創痍の瓶を受け取った。 岡本圭とドクターを配達員と間違えているのか、頭の先からつま先まで一通り眺めると、軽くあしらうようにドアを閉めてしまった。 その態度に頭に来た岡本圭は 「ざけんな、ババア!」 と叫んでドアを一蹴すると、さっさと飛び去った。

 

「最後のあれは、良くなかったと思いますよ」

少し後方を付いてきていたドクターの言葉に、とっさに何か言い返してやろうと思って振り返った途端、言葉の代わりにポロポロ涙が溢れてきた。 自分でも訳が分からなかったが、ドクターの方は既に何かを察していたらしい。 制服の袖口で目を拭いていたら、ドクターは黙って自分のうすピンク衣のポケットから大判のハンカチを差し出した。 まるで絵に描いたような紳士たる者の態度なのだが、今ひとつ華やかさと言うべきか、王子的雰囲気に欠けている事だけが残念だ。

「分かってるよ、でも悔しかったんだもん!」

ハンカチを掠め取ると、これみよがしに鼻をかんでやる。 それでも垂れる鼻をすすり上げながら、岡本圭は目を充血させていた。 悪態をつくだけついて、子供っぽく泣きじゃくる今風のお嬢さんを、静かに見守っていたドクターは小さく溜め息をついた。

 

「悔しかったんですか? 悲しかったのではなく?」

 

一際大きく、岡本圭はすすり上げると、滝の如く泣き始めた。 気分的には空いっぱいに響き渡るくらいだったが、実際は帰宅途中のカラスも気にとめない程度のものだった。 とても見られた様子じゃなかったが、ドクターはそんな事には気も留めず、静かに穏やかに見守っている。 それがまた癪に障るのだ。

「そういう、同情っぽい事やめてくれる? ウザ過ぎ! 医者だからって口出さないでよ、もうほんっとウザい! ほっといて!」

「別に同情じゃないですけど」

「あー、もうウルサイ、ウルサイ! いいよ、別に! 医者だから面倒みてるんでしょ、ほっといてくれて、全然構わないんですけど!」

「そーいう訳にもいかないんですよねぇ」

散々罵倒されていたにも拘らず、ドクターはのんびりとした声と共にどこかピントのずれた笑みを漏らしている。

 

ヒステリーに任せて怒鳴る気力も失せた岡本圭は、今度はとことん沈黙を続けた。 ドクターとのある種の我慢比べが始まったわけだが、先に根負けしたのは当然というべきか岡本圭の方だった。 入り過ぎていた肩の力は今やすっかり抜けてしぼんでいた。

 

「ちゃんと分かってるよ……頭ではヒドイ事言ってるって分かってるんだけど、言っちゃうんだ。 で、その後自分がスゴク嫌になるの、大っ嫌い」

 

ポツリ、ポツリと話す岡本圭の口調は実年齢よりもずっと幼かったけれど、途切れ途切れの言葉の中にも一生懸命自分の気持ちを伝えようとする姿には、ある種の進歩が垣間見えた。 張っていた虚勢がゆで卵のカラみたいにポロポロ剥がれていくのが分かる。 彼女はここにきてようやく、一皮剥けようとしていた。 ドクターは辛抱強く要領を得ない不器用な話にじっと耳を傾ける。

「分かってるよ、小さな事で張り合ったり、知ったかぶりみたいな事してるの、くだらないなって。 他人のそーゆートコ見ると軽蔑したりするけど、自分だって同じ事してるんだって。 でも、そんな事言えないし、言いたくないし、言ったら弱み見せるみたいじゃない? 嫌だし、そんなの耐えられないじゃない?」

うだうだと続く愚痴のような話がふつりと途切れた時、ようやくドクターに一言いうチャンスが来た。

「たくさん、不安を抱えて頑張ってきたんですね?」

始めの数秒、岡本圭の表情には反発の色が窺えたが、それがしぼんで小さく頷くまでに時間はさほど要さなかった。 更に小さな声がポツリと言った。

「怖い……んです。 周りの人が」

2003年、当時所属していた文芸部の部誌に投稿した作品です。

2003.02 掲載(2012.07 一部加筆修正)

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