裂けた大地の物語

石と風と言葉---トン・ゼフュー・フ・ローグ

1.風の老---フェルドベン

風の魔術師マゼウス・ノス・ゼフューの棲家は、グランドウの地の外にある通称『青い壁』と呼ばれる南南東の海に面した断崖の上にある。 ちょっとやそっとでは訪れる事の出来ない場所だ。 人付き合いをどう思っているのか窺い知れるようなこの場所に、この日は珍しく人影があった。 勿論、風の魔術師の客となるべく来た者たちだ。 踝まで届く外套を海風にはためかせながら、一歩一歩を確実に歩いてくる。

三つの影。

その内の一つは背が高いが、後の二つは小柄だ。 先頭を行く背の高い影については、長旅の為にくたびれた外套を繕うわけでもなく、あちこちに破け目やほつれが目立つ。 それに比べれば、後から付いてくる小柄な影は、どちらも小奇麗で服もかっちりと着ている様子だ。 特に三つ目の影は控えめだが、その足取りにはまだまだ余裕すら感じられる。

「本当に、凄い所に棲んでいらっしゃるのですね、風の老は」

声もまだまだ若い。 そして行く先を見つめて呆れたように前を行く二人に呟いた。

「あまり交流を深めたがらないのは確かだよ」

「いい奴だが、気難しいからなあ」

先頭を行く影が笑う。 少々苦笑いのように聞えてしまうのは、いい加減この道程に疲れてきているからだろう。 その笑いを聞きながら、二番手を行く影も肩で小さく笑う。 そして、ちょいと被っていた帽子を傾けてみせた。

 

「茶会に呼ばれるのにも、一苦労いるもんだ」

「無理やり呼ばせているようなものだから、大きい顔は出来ないよ、マグレオン」

「何、こちらから様子を見に行かねば。 向こうからは連絡をよこさんからな」

先頭を行く影は、そう言うとあと一息だ、とばかりに歩幅を大きくした。

 

「口論から始まりますね、この調子だと」

一番後ろからついてくる若い影が、こそっと前を行く影に耳打ちする。

「マグレオンもフェルドベンも、それが挨拶の代わりのようなものだから」

さあ、わし等も最後の一息を急ごうか。 そう言って歩幅を大きく速度を若干上げた。

 

ひっそりと佇む住処の戸を豪快に拳で叩いても、返事は無かった。 行く事を知らせてあるのだから居る筈なのだが……小首を傾げながら戸を押し開くと、扉は難なく開き、奥の方にちゃんと人の気配がしている。 そしてようやく老人が一人出てきた。

「何だ、居るならちゃんと出迎えてほしいもんだ」

背の高いボロ外套の老人が、やれやれと言う代わりに両手を腰に宛てる。 すると奥から出てきた方は、両手に広げた古い書物をぱたんと閉じる。 音の感じからして、機嫌はあんまり良くないようだ。 一番後から顔だけを覗かせて様子を見ていた若い影が、固唾を呑んで成り行きを見守っている。

「来る間が悪いんじゃ、お前は」

「何、毎度毎度の事だろう、いい加減慣れてくれんか」

「毎回自分の都合で押しかけてくる爺に言われたくないぞ」

「お前こそわしより更に爺じゃないか、フェルドベン」

毎回毎度、まずこれだ……飽きないのかね。 成り行きを見守りながら、溜息を吐くもう一人の爺に、その影から顔だけを覗かせる少年は、いつになったら招き入れてもらえるのかを心配している様子だ。

「まったく、いつ会っても変わらんようじゃな、マグレオン」

「当たり前だ、この齢でそうそう変わってたまるか」

 

「さて、そろそろお邪魔しても良いかな? わしの弟子もすっかり困っておる」

「レクヤーマスか、久しぶりじゃな。 その外套の影に隠れているのが、そうじゃな?」

風の老、フェルドベンが視線を差し向けると、少年は一瞬びくりと引きつった。 薄い灰色をした風の老の目は、ふわりと優しい光を見せた。

「ああ、ダイオンだよ」

レクヤーマスはそう言って少年の頭をさする。

「ダイオンか、驚いたかな? そう硬くならずに、上がりなさい」

「え、あ、は、はい! ありがとうございます」

頭の先から足の先まで、まるで間接がなくなってしまったかのような少年は腰から折れるように頭を下げた。 その様子を見ながら、風の老はマグレオンには向けなかった優しい笑顔を見せた。

少年は思った。 老フェルドベンは単に気難しいのではなく、老マグレオンがわざわざ突っかかるからこんな所に棲んでいるのではないか、と。 だが、いがみ合うにしては、この場の空気は和みすぎている気もする。

「気にしなさんな、あの二人はいつも、ああなのだよ」

師レクヤーマスは自分の外套を脱ぎながら、こっそり弟子に囁いた。

「あれが友好の証なのだから」

「は、はあ……」

 

老人の一人暮らしにしては、部屋から小物に至るまですっきり片付いている。 どちらかというと物事に没頭すると食事すら忘れてしまうフェルドベンの性格を考えると、いちいちこまこまと片付けるなど俄かに想像できない事だ。 それを言うとフェルドベンは勿論、僅かに眉を顰めるが、 本人も心に思うところがあるのか沈黙を守るだけだ。

結論、これは明らかにフェルドベン以外の誰かによる功績だ。

「ほほう、お前さんの弟子はなかなか気が利くらしいな、フェルドベン?」

「マグレオン、それを……」

「そうそう、わしも聞いた時は息が詰まったよ。 まさかお前さんが弟子を取るなんて思いもしなかったのだからね」

「レクヤーマス、知っておるのか!」

普段沈着なフェルドベンが驚く様を見るのが面白くて、レクヤーマスはにこにこして頷く。 するとマグレオンが、薄い灰色の視線を向けられる前にレクヤーマスの言葉を引き継いだ。

「うっかりと聞かれてしまってな」

「白々しい、年甲斐のないお喋りめ」

「む、心外だ」

少し気分を害した様子のフェルドベンに対し、耳が遠い振りをして白を切るマグレオンを、またしても冷や冷やと見守るのはダイオン少年だ。

「まあまあ、マグレオンも悪気があったわけじゃない。 同じ年頃の弟子を持つわしに気を遣ってくれたのだよ」

そう言ってレクヤーマスは傍らの弟子の頭を撫でた。 年の頃、人間モルで例えるなら十五ほどになるだろうか、まだ締まりきらない線の細い身体をしている。 そんなダイオン少年を眺めて少し眼を細めると、フェルドベンは小さく溜息を吐いた。

「石頭のくせに口に締りがないようじゃな、まったく」

「それはわしの事を言っとるのか? お前さんの弟子にも気を遣っておるだけだ」

聞き捨てなら無いと言わんばかりに、マグレオンの意志の強い眉が大きく顰められた。

「一つ、会わせてはもらえないだろうか、フェルドベン?」

レクヤーマスの言葉と、訳が分からないながら興味を示しているダイオン少年の好奇の瞳に畳み掛けられてまた一つ、今度は先程よりも大きな溜息が零れ落ちた。

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2004.09 掲載(2012.01 脱字修正)

Original Photograph by My Gallery
Copyright© Kan KOHIRO All Rights Reserved.