裂けた大地の物語

石と風と言葉---トン・ゼフュー・フ・ローグ

02.師匠と弟子---プロアン・フ・エピン

師フェルドベンに呼ばれて奥から出てきた子供は、何事かと眉を顰めていた。

「何かご用ですか、先生?」

レクヤーマスの弟子、ダイオン少年と大して変わらない年恰好をしている。 ただ、もっとずっと細っこくて小さい体つきだった。 それに、少々気になる面立ちをしている。

「わしの友人たちじゃ、ご挨拶しなさい」

フェルドベンの言葉に、子供は口の中で「え……」と濁した。 師匠に来客がある事は知っていた。 だからこそ、邪魔をしないよう奥で大人しくしていようと決めていたのだ。 それに対して師匠も同意していた筈なのに、なぜ急に? という混乱が伝わってきた。

「久しぶりだな、ラスタム。 元気だったかな?」

「はい、老マグレオン」

「どれどれ、この子がそうなんだね、フェルドベン?」

初体面のレクヤーマスが目を細めて子供に穏やかな笑顔を向ける。

 

「成程、森霊ファリ的なところがあるね。 初めましてラスタム、わしはレクヤーマス。 言の魔術師マゼウス・ノス・ローグで通っておるよ」

 

人間モルというよりも、むしろ森霊に近い特徴を持つ目が少し見開かれた。

「言の魔術師……」

「そう、古の言葉や滅んだと言われている言語を研究しているよ」

にこりと笑みを浮かべてレクヤーマスは簡単に説明をしてくれた。 その隣でこっそりこちらを窺っている少年が目に入った。 ラスタムが小首を傾げると、レクヤーマスは少年の頭をぽんっと撫でて前に出した。

「この子はわしの弟子でダイオンだよ」

言の魔術師の弟子……

「よ、宜しく」

少年は硬い態度でそれだけ言った。

「宜しく……」

一方のラスタムも、他にどう言えばいいのか思いつかずに短く返した。 あまりに子供らしくない、素っ気の無い態度に老人達はこぞって苦笑いを漏らす。 そんな弟子達に気を遣ってか、フェルドベンも穏やかに口を開いた。

「ラスタム、ダイオン、二人とも少し向こうで話をしていなさい」

「先生?」

「調度良い機会じゃ、色々と説明してあげなさい、ラスタム」

「はい、先生。 こっち……」

少年を振り返ると、ラスタムは行き先を指差して歩き出した。 少年の方も師匠を振り返ったが、レクヤーマスが笑顔で頷くのでとりあえず付いていく事にした。 立ち去る子供達を見送りながら、老人達の顔にはまたもや苦笑いが浮かんでいた。

 

「相変わらず、淡白な子だな、ラスタムは」

マグレオンはそう言って茶に手を伸ばす。

「ダイオンが硬くなっていたから、迷ったんじゃないかね?」

レクヤーマスが気を遣うようにフェルドベンを見る。

「いいや、頭の良い子だからそれくらいじゃ迷ったりせんよ、あの子は。 ダイオンもそうじゃろう? 先程は少し人見知りしていたようにも見えたが」

「確かに、普段はあんな事は無いんだけどね」

言葉を濁すレクヤーマスの言いたい事は、二人にはよく分かっていた。 控えめに横目で見ていたマグレオンは、茶を啜り上げると静かに言った。

 

「子供とはいえ、あの二人は……特別だからな」

 

押さえた表現に留めておいたが、フェルドベンはそれを聞いて静かに笑った。

「お前がそこまで気を遣うと気味が悪い。 分かっておる、ラスタムの風貌が明らかに森霊寄りじゃから、ダイオンも警戒していたんじゃな?」

話題を振られたレクヤーマスは、遠慮がちに「そうかもしれない」とだけ返した。 含みのある奥の深い声音だった。

そんな爺たちの会話を他所に、弟子達の間には沈黙と表現する以外に無い空気が出来上がっていた。 先を行く案内役からも、後から付いて行く客からも、一向に会話らしい会話が出てこない。 互いに互いを窺っているらしく、何かあったら敏感に感知はしているようだ。

「どこ行くの?」

先に切って出たのは客の方だった。

「どこ、行きたい?」

質問に質問で返す案内役に、またしても客は困る。

「どこでも……」

暫く考えたが、やっぱり出てきたのは迷宮入り確実の返事だった。

「そう。 じゃあ、こっち」

ラスタムが指さした先に見えたのは、少しだけ開いた本棚だった。 開いた、というのはつまり、一方の端が扉のように壁から少しだけ離れていたからだ。 そして、案の定それは扉だった。

「変な本棚……」

思わず呟いてしまったダイオン少年は、直後にハッとして慌てて口を噤んだ。 横目にラスタムを窺うと、別段怒った様子も気分を害した様子も見られなかった事にホッと安堵する。

「うん、先生がどんどん増やすから片付ける場所が無くて、そしたら先生、扉を本棚に代えちゃったの」

「風の老が?」

「そう、先に片付けるから、驚かないでね」

そう言ってラスタムは本棚扉を開けた。 書物類がぎっしり収まっているにも関わらず、扉は子供の力でも容易に開ける事が出来たが、内は真っ暗だった。

「レイータ」

小さな一言で、間接照明と思しき小さな明かりが要所要所に灯る。 そして明かりの中に浮かび上がったのは、天井まで届く本棚が壁と言わずに聳え立ち、決して狭くは無い部屋を細切れの通路にしてしまっていた、恐ろしい数の棚と書籍と梯子だった。

「何だ、これ」

「凄いでしょ、全部先生の集めた本。 片付けるのが大変なの」

「図書館?」

「ううん、書庫」

簡単に言ってしまうと、ラスタムはすたすたと書庫に入っていく。 つられて後に続くダイオンは、辺りをきょろきょろ見回しながら磨り減ったような背表紙に目をやる。 太古の世界や生き物に関するものから、医学書のようなもの、新旧数多の言語に関するものなど、幅広く揃っていた。

「難しそうな本ばっかり」

「そうでもないよ、向こうには世界各国の民話とか伝記とか詩集もあるよ」

「多趣味だなぁ」

 

「先生、本の虫だから。 放っておくと一生出てこないんじゃないかな」

 

民話やら伝記やらの本棚の前に来ると、ラスタムは出しっぱなしの書籍を片付け始めた。 床に無数に広げられた本の数に驚かざるを得ない。

「さっき、急に呼ばれたから片付けてなかったの」

「へぇ……」

ぱっと目に付いた本に手を伸ばして、ダイオンはパラパラとページをめくった。 そこに書かれていたのは空の大帝国の話だった。

「ダル・セルヴィアの本、興味あるの?」

本を片付けながらラスタムが尋ねてくる。 ダイオンは返事を濁したが、目はざっと文章を流し読みしていた。 一時は一生お互い何も喋らないじゃないかと思えたが、子供の持つ柔軟性は偉大なものだ。 打ち解けるまでには至っていないものの、会話が弾む兆しが見え始めたのは、やはり進歩と言えるだろう。

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2004.09 掲載(2012.01 一部修正)

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