12.決別---セルダン
やっと見つけた友人の上に降りかかった事態がまるで分からず、ガラはボロボロに汚れてくたびれた服の胸倉を掴み上げて、食って掛かり続けていた。 ゼスベルは物憂げな様子で答えようとはせず、相も変わらず成すがまま揺れていた。
森霊として生まれた者には皆、先天的な魔力が備わっている。 幼年期を過ぎれば自然と身につくものだ。 そして、特にゼスベルのそれは近年稀に見る程の強力な魔力だった。 その強大で未知数な力は、彼の故郷の王族さえも一目も二目も置く程だったのだ。
それを……
「身体の自由と引き換えにした。 別に大した事じゃない」
「身体の自由と引き換え? 何を言ってんだ、お前……」
「使い物にならないくらい傷んでいたからな。
「何だって?」
ルドナニマと言えば、万病に効き不老長寿の効能もある奇跡みたいな特効薬だ。 今時竜の姿すら見られなくなって、すっかり夢や幻のような代物になってしまった事はガラも知っている。
「本当にルドナニマだったのか? ルドナニマなら、森霊の魔力を失ったりしないだろう……?」
「そうだな、マガイものだった。
奴は生粋の
まるで他人事のような口ぶりに、ガラは体の底から血が凍るのを実感した。
「何だって? お前、調合された薬じゃなくて、わざわざ竜を殺したのか? それも、マガイものって何だよ? そんなものの為に……森霊の魔力を代償にしたのか?」
今、目の前にいるゼスベルは、まったくガラの知らないゼスベルだった。
森霊ですらない。 森霊である筈が無い。 森と共に生き、何物も奪わせない代わりに、何物をも奪わない。 自然の在るがままに生きる森霊は、己の都合の為だけに生命を脅かしたりしてはいけない。
まして、竜は太古より生きる知恵のものだ、決して手を出してはいけない。 彼らは大地と共に在り、空と共に在る命だ。 近年その数もめっきり減っている。 決して脅かしてはいけない存在なのだ……。
一体、誰だ、こいつは。
誰なんだ、この目の前に立っている男は、一体誰だ?
少なくとも、ガラの知っているゼスベルはこんなではなかった。 陽気で型破りで、王族の血を引きながら権力欲の欠片も感じさせない、森霊だった。 一所に留まるような気質ではなかったが、自然界に対する敬意を持ち合わせていたはずだった。
先程感じた血の凍る思いが一層膨らみ、ある種の恐怖を覚えるガラを内側からじわじわと追い詰める。
「冗談だろ……?」
搾り出すように吐き出した声音には、驚愕と憤りすら感じられた。 自分が咄嗟に何をしたのかも分からなかったが、気が付くと思いっきりゼスベルの頬を殴りつけていた。 我に返った瞬間、心地の悪い手応えだけが残る。 恐らく、奥歯を折った筈だ。
「この二五〇年間、どれだけ必死こいて探してたと思ってんだよ! もう、 始まってんだぞ、分かってんのか? 嘆きの時代は、とっくに始まってたんだぞ! 日没の森も滅んじまった今、森霊の減少は以前の比じゃねぇ……今しかねぇんだよ。 今動かねぇと、手遅れになっちまうんだよ、分かるだろ!」
ガラの訴えは、もどかしい程ゼスベルを上滑りしていく。 悔しいのと哀しいのと怒りと、とにかく色んな感情が混ぜこぜになって目頭さえ熱くなってきた。 やっと、やっと二月前に確かな足取りを見つけて追ってきたというのに……
ずっと無抵抗状態で黙っていたゼスベルが、全てを拒絶するようにガラの手を弾いた。 不愉快そうに顰められた表情は、これまで見たものの中でも特に冴え凍るようだった。
「お前は、一体俺に何を期待しているんだ? 嘆きの時代が、俺にどう関わっていると言うんだ?」
「ゼス……」
「冗談じゃない、俺を巻き込むな」
「何だと?」
ゼスベルの言葉に、ガラの怒りが沸々と臨界点に達そうとしていた。
「一体何の正義感だ、それは。 終末ごっこなら、お前一人でやれ」
「ってめぇ……っ!」
振り上げた拳は、今度は当たる前に避けられてしまった。 それが余計に癪に障り、ガラは遠慮の欠片も無くゼスベルの横腹を蹴り倒した。 地面に転がったゼスベルを憎しみの色の濃い眼で睨みつけた。 全身が煮えくり返って震えが走る程だった。
「どこまで腐りやがったんだ、てめぇ。 俺の方こそ、がっかりしたぜ。 いつまでも被害者ぶって、一人で拗ねてやがれ! くそ野郎!」
地面に膝を付いたまま、げほげほと咽るかつての友人を、見納めとばかりに一睨みすると、ガラは二度と振り返る事無く走り去った。 あっという間にその姿は闇に紛れて消えた。 その胸中に残ったのは、ただひたすら湧き上がる喪失感、焦燥感そして、どうしようもない絶望感だけだった。
後に残されたゼスベルは、ガラの姿が見えなくなった直後に、またしても訪れた激しい動悸に息を詰まらせていた。 体中が波を打つように躍動している。 ゼスベルの癒えた身体を内側から食い破るような、そんな圧力がみるみる膨らんでいる感じだ。
そして、脳裏にはまたあの声が響く……あの竜の声だ。
『デイボゥスト』
一体、何をしろというのだろうか。
ただ体力のある
ただ混沌とした世界に一人残された者として、ゼスベル――マルセイは呆然と膝を着いていた。 多くの苦労と謎とを抱えたまま、それが定めとばかりに人の中に戻ってくる彼の姿を見るには、まだ暫く時を待たねばならないようだ。