11.再会---ソール・ノク
三日目、嵐は嘘のように止んだ。 海もすっかり凪いで穏やかに朝日を浴びて反射している。 浜辺や断崖の所々に残された嵐の爪痕を除けば、そこに広がるのは絵画に描かれているような美しさだ。
その浜辺から更に三百デュロン程離れた所に入り江があった。 粉々に打ち砕かれた船の残骸と共に奇跡的に打ち上げられた青年が、ようやく目を覚ましたところだった。 結構な距離を流されたが、とにかく大地に辿り着いたのは確かだ。 体のあちこちがぎしぎし痛んだが、今までの経験上およそ怪我らしい怪我はしていない事に己の事ながら驚いた程だった。
「……どうやら、俺も充分に死に損なったらしいな」
そんな皮肉が思わず口をついて出た。 少し頭痛がしたが、小半時もすれば治まった。 水平線の向こうから順調に登り続ける朝日を見ていると、何だかここに存在している自分が不思議に感じられた。
何の為に存在しているのか、今は考えても分からない。
ただ生きて、この瞬間に朝日を見ているのは確かだ。
「一体、俺に何をしろと言うんだ」
自分の祖国や親兄弟すら救えなかった一介の
どくんっ……
うな垂れていると一度だけ動悸がした。 心臓が、というよりも体そのものが、いや、大地から伝わってくるように一度だけ体中が大きく鼓動した。 一度だけ、たった一度だけ。
それが何を意味するのか、じっくりと考えている暇すら無かった。 今はただ、歩くしかないのだ。 何処へ通じているとも分からない、道かどうかも分からない先を……歩くしか。
どのくらいうな垂れたままだったのかは、考えるまでもなかった。 既に朝日では無くなった太陽が、天空の一番高い所を少し過ぎた辺りでさんさんと照っている。
小さく深い溜息を吐くと、青年は立ち上がった。 行く宛などある筈も無かったが、少なくともいつまで留まってもここに居場所は無い。 無い事ばかりが確かだ。
(行く……たって、なぁ)
散々海水と潮風に晒されて傷みきった髪を掻きながら、青年は浜とは反対側に歩き去った。
およそ一月と数日離れている間にも、物事というのは進展しているのだという事を改めて実感した。
森霊の風貌をした者が、ゼスベルという名の森霊を探し回ってここら辺りをうろついているという。
幸か不幸か人相描きの類は見当たらなかったが、森霊の目も耳も
それにしても、誰が自分を探しているというのだろう?
出来る限り人目を避けるように歩き回り、時々里の人間や道中の旅人らの話に聞き耳を立てながら、慎重に隠れまわった。 恨みを買っているとして、思い当たる事が多すぎる。 この際、ゼスベルの名は伏せておく方が賢明かもしれない。 セクルート少年との約束を意識している訳ではないが、この先はマルセイを通り名にしておく事にした。
今は、ろくな武器も持ちあわせていない。 すぐにゼスベルだとバレる心配も無い筈だ。 厄介ごとには極力関わりたくない。 気持ちも状況も煮え切らないが、無駄に危険に突っ込んでいく気はさらさら無い。
だが、今のゼスベルには危険を回避する為の決定的な力が欠けていた。
大地に舞い戻って二十日目の深夜だった。
突如として背後から襲撃を食らった。 気付いて振り返った時には、既に強烈な体当たりで吹っ飛んでいた。 派手に地面を擦り、起き上がって暗闇に目を向ける。 人影が木々の間を走ったのが見えた。
「あっさり俺の警戒網に引っ掛かるなんざ、何処のどいつだよ、ったく……」
呆れ返ったような声音が響く。 声のした方に耳を澄まして、ゼスベル――マルセイはそっと起き上がった時に触れた石を掴み上げると、そよ風が枝を揺らした刹那に放った。 暗闇を飛んだ石は、確かに手応えがあった。 何か、それも生き物に当たった。
「い、ってぇ! こんな手ぇ使う奴、俺の知ってる中に一人だけいたな」
頭を掻きながら現れた姿に、ゼスベルは瞬間に言葉を失った。 実に堂々と足音を立てながら、がさがさと出てきた男が、既に確信した様子で声をかける。
「やっぱり、てめぇかゼスベル」
「お前、ガラ……か?」
久しく耳にしなかった森霊の言葉を間違えようも無い。 何故、今頃この男が自分を探し回っているのか、皆目見当もつかなかった。 片手を差し出してゼスベルを助け起こしたガラは、ふとその手に違和感を覚えた。
まさか、という思いでゼスベルを覗き込む。 そして、その変わり果てた様子にまたしても絶句を余儀なくされた。 辛うじて搾り出した声は、枯れ木の如く掠れてていた。
「お前……一体、何があったんだ」
かつてのゼスベルとは、まるで違った。 冷え切って光の無い閉ざされた目。 俄かに痩せ衰えた様子。 そして、何よりも……
「一体、どうしちまったんだよ、ゼスベル……?」
「……」
「行方不明になっている間に、何があったんだよ……?」
「……」
「何で、何も言わねぇんだ!」
「……」
「何があったんだよ、お前に! ああまで簡単に俺の警戒網に入ってきた訳が分かったぜ。 お前、お前、何処にやっちまったんだ? お前の森霊の魔力はどうしたんだよ!」
戸惑いを通り越し、明らかな動揺を見せる古い友人をまるで物でも見ているような目で、ゼスベルはただ微動だにもしなかった。