1.日没の森 --- ゼ・フォリス・ニッセ
その森に、ほぼ毎日よその山林や渓谷に出かけては冒険を求めて何日も戻ってこない、そんな森霊の若者がいた。
名をゼスベル。
日没の森のゼスベルと言えば、少しは知られた名前だった。
随一の勇士。
日没の森のはみ出し者。
そして、王権の無い
だが、当人がそれを逐一気にすることは無かった。 彼自身、王権などには興味のきの字も示さなかったし、どうでも良い事だった。 のんびりと今のまま、気楽で気ままな生活を送る事の方が、よほど性に合っていたのである。
「ゼスベル、いる?」
よく通る明るい声が玄関の方から聞こえてきた。 程なく元気な足音が近づいてくるのが聞こえ、裏の戸口に一人の少女が現れた。
「やっぱり、いたんじゃない。 何で返事してくれなかったの?」
「……やあ、グロリアか、何か用?」
顔を上げる事なく、ゼスベルは愛用の剣をせっせと磨いていた。 次の冒険の準備をしていたのである。 そんなゼスベルを見て、グロリアは呆れて言った。
「いい加減、よしなさいよ。 今に大変な事になるわよ、そんな事ばかりしていたら!」
「僕の勝手だろう、放っておいてくれよ」
剣から目を離さずに、時折、陽光に照らして曇りが無いか念入りに見ている。 これが、曲がりなりにも王の子の姿と言えるのか、グロリアはまたも口を出す。
「貴方は
「興味ないね」
そう言ったきり、相変わらず剣の手入れに没頭している。
「興味ないなんて、簡単に! 貴方は私の兄にあたる人……聞いてるの?」
「遠い親戚の、を忘れてるよ。 何度も言うようだけど、僕には関係ない話だよ」
「お父様は、グランドウの血を引く息子に位を譲るお考えなのよ。 貴方に関係ないわけないじゃない!」
「まだ充分お元気じゃないか、君のお父様は」
まじめに取り合う様子は見せない。 そんなゼスベルに、グロリアはつかつか歩み寄って、ゼスベルの剣を持つ手を掴んで取り上げようと振り回した。
「危ないじゃないか、無茶をするなよ」
「わたしは真面目に話しているのよ!」
「グランドウの血なら、ロス・グロラスの息子たちが大勢いるだろう、何も問題ないじゃないか」
――
それが今の日没の森の王の名であり、またグロリアの父でもあった。 グロラス王は典型的な、血統の正しさを重んじる性格で、また彼は多くの子供に恵まれていた。
だから、わざわざゼスベルが王権の中枢に入っていく必要など無いのだ。 血統の正しさなら、遠縁のゼスベルよりも自分の息子たちの中から一番良いと思った人物を次の王に立てたら良いのだから。
それに、ゼスベルは確かに遠縁とはいえ、グランドウの血を引いているかもしれないが、家系は
あのグロラス王が、わざわざゼスベルを相手にするはずが無いのだ。
「グロリア、僕には何の資格もないし、欲しいとも思わない。 だから、その話はいい加減やめてくれないか」
磨いていた剣をしまい、ゼスベルはようやくちゃんと顔を上げた。 グロリアは悔しそうに形の良い唇を噛みしめながら、活力に満ちた目は大きく見開かれてゼスベルを直視していた。
「君がロス・グロラスの事で僕に気を遣ってくれるのは分かるけど、僕なら大丈夫だよ、ロスの事も気にしていない」
落ち着いた声音でゼスベルはゆっくりそう言った。
グロラス王は、その性格ゆえ、時として実に厳しい態度で臨んでくる事があったが、ゼスベルは全く相手にしてこなかった。 血統の正しさを重んじるのは森霊の典型的な気質だったし、グロラス王がここまで徹底してそれを貫いてきたのは、それだけ王家を守り通そうとする強い意思の表れでもあった。
森霊は確実に減少し、弱ってきている。
一族を守る為、ある意味では仕方ない方法なのだ。
それはゼスベルも分かっていたが、かと言って自分が王家やら一族やらの先頭に立って指揮を執る気などさらさら無い。
まして日没の森の代表として、他の
だから、このままで良いのだ。
それを、時々グロリアは自分たちに遠慮していると受け取っているらしい。 それは誤解だ。 ゼスベルは今までの生活で十分満足しているし、それ以上望む事もない。 今のままの生活が続けられれば、それで良いのである。
目の前で、グロリアは納得しきれない様子で悔しそうに見えた。 競争心の強い彼女の兄弟たちの生活を考えれば、グロリアがそう思うのも納得いくが、ゼスベルにはそんな彼らの姿の方が異常に見えるのだから、仕方が無い。
所詮平行線。
血統の正しさが全ての王家の森霊たちは、彼らで事を納めてくれればそれでいい。
グロリアはとりあえず引き下がったが、明らかに諦めた様子は無かった。 それを見て見ぬ振りをして、ゼスベルは次の冒険地を目指して旅立ち準備の最終点検を始めた。 出発は三日後だ。