2.権力闘争 --- ゾラマ(ゾール・アルマア)
日没の森の現王、グロラスがその王座についてから既に二百余年になる。
だが、決して長いことは無い。
けれど、グロラス王は真剣に譲位を考えていた。 理由は体力、気力の衰えだった。 血統の正しさを重んじる彼は、やはりその座を手に入れる前に熾烈な権力闘争に積極的に参加したものだ。 先王もまた多くのグランドウの血を引く息子たちに恵まれ、その座を競い合わせていた。
より強い魔力。
より強い意志。
より強い統率力。
この日没の森の森霊を引き連れ、先頭に立てるだけの力量を持つ者でなければ、今の時代の森霊たちを守る事など到底出来ない。
先王は口癖のようにグランドウの血を引く息子たちに言い聞かせていた。 グロラス王もまた、それを聞き続けてここまで勝ち上ってきたのだ。 何度と無く辛酸を舐め勝ち取った王座であるにも拘らず、わずか二百余年で下りたくなった……側近ですら知り得ない、王の心境の変化は本人ですら信じがたいものだった。
体がまるで鉛か何かのように重い。
意志が体の隅々まで行き届かない。
常時付きまとう気だるさと疎ましさ。
あるわけないが、時々、自分の体と意志がてんでバラバラに感じられる。
まるで何か得体の知れないものに支配されていくような違和感を覚える。
この二百余年、それは徐々に確信へと変わっていった。 たった二百余年……だが、確実にグロラスの魔力は衰えた。 体力も統率力も、王座を勝ち取った時には有り余るほどだった力の数々は、今は磨り減った板のように感じられた。
見せ掛けの力。
今の自分には、せいぜいそんな程度の力しか残っていない。 今のところ、その見せ掛けの力に騙されて、グロラス王の衰えを感じている者は他にはいない。 側近も、息子たちも。 だが、気付かれるのは、もはや時間の問題だ。
グロラス王は密かにそう確信していた。
そんな折だった、グロリアが憤りを感じさせる足取りで廊下を歩き過ぎようとしていた所に出くわした。 元気な娘だが、おっとりとした気質のグロリアが珍しく足音も荒々しく歩き回っていたので、グロラスは少々不思議に思ったのだ。 声をかけると、彼女は慌てて姿勢を正し深々とお辞儀をしてみせた。
「どうした、グロリア?」
「あ……いえ、別に。 少し考え事をしていたのです」
言葉を濁すグロリアの様子に、さすがにグロラスは眉をしかめた。 グロリアは嘘のつけない性格だ。 言いにくそうにしている様から、察しがついた。
「ゼスベルの所へ行っていたのか」
「え、ええ、まあ。 でも挨拶をしに行っただけです」
「挨拶?」
「近い内にまた冒険に出かける様子でしたから……」
気まずそうに細い両手を遊ばせているグロリアは、明らかに父親の顔色を窺っていた。 彼の口癖を借りれば、「正統な血筋のお前が、卿如きの家に出入りするなど軽はずみだ」というような事を言われるのが、毎度の事なのだ。
「まったく、お前と言うやつは何度言ったら分かるのだ……」
「遠縁とは言え、兄にあたる人ですもの、挨拶にくらい行ったところで王家の面目に関わるとは思いません」
「屁理屈だけは達者になったな、グロリア。 誰の影響だ」
「そんな意地悪な言い方なさらなくても、お父様が彼の事を良く思っていないのは知っています。 けれど、それはあくまでもお父様の意見であって、わたしのではありません」
「やれやれ、お前の兄たちが聞いたらどう思うだろうな」
「比べるのがそもそもの間違いですわ、お父様、失礼します」
グロリアはきっぱりと言うと、礼儀正しく一礼をしてスタスタと行ってしまった。 言いたい事は最後まで言うところは残念ながら、グロラスの自覚する自分に似たところだ。 ぴんと伸ばした背筋がゆっくり遠ざかってゆく。 一見優雅なようで、闊達な後姿は誰に影響されているのか、それ以上を考えるのはやめにした。
『近い内にまた冒険に出かける様子でしたから』
ふと、遠い親戚にあたる自由奔放な若者の姿が思い出された。 良いように解釈すれば自由気まま、だがグロラスから見て彼は秩序の無い、無茶苦茶な若者でしかない。 過去にほんの数える程しか会った事のない若者だが、何故だか顔は良く覚えていた。
力強い真っ直ぐな目。
どちらかというと畏怖に近い恐怖を感じたのを思い出した。 たかが一卿に過ぎないというのに、存在感のある若者だった。 正直、力量だけなら自分の数ある息子たちのどれよりも、王座に近い所にいる筈だ。
だが、あいつには譲れない。 あいつにはその意志も資格もないのだから、譲るわけにいかない。 日没の森の王として、森霊たちを守るなど、あいつには出来ない事なのだ。
グロラス王は首を数回左右に振り、気持ちを切り替えてその場を後にした。