01.---溜息とセット
それまで、お互いに接点と呼べるものは皆無に等しかった。
日没の森の現王、ロス・グラニオの星の数ほどの孫の中でも一際才覚を顕すグラニアスは、それこそ大事にされ、王城の内で未来の王たるべく教育を受けていた。
また本人が積極的に取り組んでいた所為もあり、一般の
だが、外部の噂は常に情報として入っていた。 だから、名前と存在くらいは知っていた。 よく、身辺の者達が溜息と共に吐き出す名前が、常にそれだったから。
「なぜ溜息ばかり吐いているのだ?」
偉大なる森霊の祖グランドウの伝承を暗唱する授業の最中、専任の師ガルーニがあまりにも溜息ばかり吐いているのが気になり、グラニアスは思わず中断して尋ねた。
「あ、いえ、申し訳ありません。 どうぞお続け下さい」
「わたしの質問に答えていない、はっきりと申せ!」
まだ
「また、ギャレサス卿の子息が一騒動起こしまして、その」
「ギャレサス卿の? という事は、例のゼスベルとか言う森霊の事か」
「ご存知でおられましたか」
「ああ、名前だけなら嫌と言う程聞いている」
そう言うグラニアスの表情が明らかに不愉快そうだったので、言った後ながら言わなければ良かったと思ったガルーニだったが、後の祭りだ。
「あ、あの、ご気分を害されたならば、どうぞご容赦下さい、この話題はもう」
「いいから。 今度は何を仕出かしたのだ、ギャレサス卿の息子は?」
「ええ?」
言って良いものか思わず迷ったのは、グラニアスがあまりにも複雑そうな仏頂面をしていたからだ。 聞きたくないが、でも気になる。 そんな顔をしてじっとこちらを見ていたのだ。 言わなければ怒りそうだが、言ったら言ったで、また怒りそうだ。
どうしたら良いものやら……
頭を抱えて同じように難しい顔をしてしまったガルーニの耳に、何やら足音らしき甲高い物音が扉の向こうで響いてきた。 廊下の端から元気に走ってくる様子で、音の主はまもなく大きな音を立てて扉を開け放した。
「グラニアス! 終わった?」
「グロリア、何の用だ?」
呆れ返った様子でなだれ込んで来た幼い少女を見ると、 小さくではあるけれど意味深な溜息を付いてグラニアスは、困り顔の師を見やった。
「あ、まだ終わってなかったの? ごめんなさい」
「いいえ、良いのですよ、グロリア様。 今日はこれで終わりに致しましょう、グラニアス様。 お疲れ様でございました、大変結構でございましたよ」
人の好い笑顔を見せてガルーニが出てゆくと、後に残されたグラニアスは、今度は大きな溜息を吐き出して妹に向き直った。
「で、何なんだ、一体?」
「あのね、あのね、凄いのよ!」
「だから、何がそんなに凄いんだ、グロリア」
グラニアスの疑問をほったらかしにする勢いで、グロリアはすっかり興奮している。 よほど面白い事があったのだろうが、一方の兄の方は何の事だか、まるでわけが分からない。
目の前で、押さえきれないとばかりに頬を紅潮させて大きな目をランランとさせているグロリアを見ていると、何故だか自分まで落ち着かなくなってきた。
「もったいぶらずに言ったらどうだ、グロリア?」
「そんなつもりじゃないわ! だけど、何から話したら良いのか。 ここに来るまでに一生懸命考えたんだけど、とても言葉にするのは難しいの!」
グラニアスは頭を押さえた。 その複雑そうな表情に、一層拍車がかかったようですらあった。 真一文字になった口が、それを如実に物語っている。
「順を追って話してみたらどうだ?」
「えーっと、えーっとね、まずゼスベルがね!」
グロリアが名前を出すか出さないかの内に、グラニアスは複雑そうな表情を、明らかに不愉快そうに一変させた。 正直、飽き飽きしていたのだ、この手の話題には。
「お前は、まだあんな王族の端くれ者の所に出入りしているのか? 父君や祖父王君も何度も言い聞かせてきたじゃないか!」
グラニアスの言う父君と言うのが、もちろん後に王となったグロラス。 そして祖父王君というのが、現王グラニオである。 凝り固まったような森霊気質で有名な二人だ、あんまり言う事を聞かないようだと、いくら娘といえども手酷い罰が待っている筈だ。
グラニアスはそれも心配ではあったが、そんな事よりも二人の気質を色濃く継いでいた所為もあり、彼自身がそんな半端者と関わる事を厭わしく思っていたのである。
「いいかい、グロリア。 お前は王族の直系なんだ、立派な森霊なんだよ。 身分ある森霊は先頭に立って他を導いてこそすれ、一般の森霊に混じるなどあってはいけないんだ」
「どうしてよ? ゼスベルは私達の親戚よ! お父君のギャレサス卿はお祖父王様の従兄弟の息子なのよ? どうして関わっちゃいけないの?」
「如何に祖父王君の従兄弟の子であったとしても、僕達は王族、ギャレサス家は卿なんだ、違うんだよ」
「まあ! グラニアスってどうしてそんなに頭が固いの! ゼスベルはとても良い森霊よ、王族だとか卿だとか、そんな事関係ないじゃない!」
「あるんだ! グロリアはまだ子供だから分からないだろうが」
「何、偉そばって! グラニアスだってまだ子供じゃない!」
その言葉にムッと来て、グラニアスは眉を吊り上げる。 怒鳴ったり、手を上げたりこそしないものの、物凄く怒っているのは明白すぎて、むしろ怖い。 一方でグロリアも頑固なところは父親譲り、依然として引こうとしない。
「お前は、僕を怒らせる為に授業の邪魔をしにきたのか?」
「違うわ! でも、もういいもん、言わない。 グラニアスには言ってあげない! そんな事じゃ、一生ゼスベルみたいにはなれないんだから!」
「何だと、グロリア!」
ついにグラニアスの堪忍袋が、緒と言わず破裂したらしい。 だが、その直前にグロリアは、まるで森を駆ける子リスのように飛び出していってしまった。 破裂してしまったものの、その怒りをぶつける対象が手近に見つからず、何とか大噴火寸前で飲み込んだグラニアスは、その後どっと疲れて片手を付いた。
溜息を付きつつも、誰も彼もがゼスベルの名前を口にする。
それだけ周囲の関心が向けられている証拠だ。 王家の側近、果ては王族までも唸らせるゼスベルというのは、一体どんな輩なのだろう。
俄かに覚えた目眩と共に椅子に深々と腰を下ろすと、グラニアスは開きっぱなしの卓上の王族系統図に、何とはなしに目をやった。 祖父王君の従兄弟の子の息子と云えど、祖父王君には七七の兄弟姉妹がいて、更に従兄弟にいたっては軽く三百を超える数になる。 その中の一人の息子が父親としても、各兄弟姉妹には更に数えるのも不可能な程の子供達がいるのだ。
何故今更、遠縁に当たる一介の卿の息子などが話題に上るのだろう?
そんなに何か特別な事でもあるのだろうか?
グラニアスが、この辛うじて名前を知っている程度の末端王族の息子を気にし始めたのは、調度この頃からである。 そしてその時には、まさか実際に関わり合いになるとは思いもしなかったのだが、その時というのは、案外ひょっこりとやって来るものである。