02.---卿家の野生児
それは現王グラニオの在位千年を祝う祝宴の場での出来事だった。
「誰だ、あの野生丸出しの輩は?」
現王の孫として未来を期待されているグラニアスは、当然のように王座に近い席で父親と共に座していた。 そして、賑々しく華々しく実に壮大に催される祝宴の片隅で、明らかに場の雰囲気から浮き立ってしまっている森霊の子供がいた。
公の場に不慣れなのだろうか、すっかり警戒心を丸出しにした野生の動物さながらだった。 一応礼服をまとっているものの、明らかに普段着慣れていない様子で何度も裾を踏んづけてみたり、物を取ろうとして何かに袖を引っ掛けてみたり……滑稽と言えば滑稽なのだが……なぜだろう? 妙に視線がいってしまうのだ。
それは何もグラニアスだけではないようだ。 ふと見上げた隣に座る父、果ては玉座に構える王までもが、苦々しい表情をしながらも、野生の気配の方へ視線を注いでいた。 誰かがこっそりと囁いていた。
「あれか、ギャレサス卿の子息というのは」
「ああ、道理で……」
決して歓迎していない囁き。 それは王族に近ければ近しい者程、顕著になる傾向にある。 勿論グラニアスもそれに違わない。 なぜ呼ぶ必要があったのか、それがまかり通る身分でもないだろうに。
そんな蔑みの視線が嵐のように幼い森霊に注がれる。 だが、当人は居心地悪そうにしてはいたが、動じてはいないようだった。 不思議なものだ、父親のギャレサス卿は息子など眼中外とでもいうように、気の合う仲間と談笑している。
「ゼスベル! 貴方来てたの!」
退屈そうに片隅であくびをしている野生児に、怖いもの知らずが歩み寄っていく。 煌びやかな衣装を身にまとった怖いもの知らずは、いわずと知れた現王の孫娘の一人である。
「グロリア、何?」
「退屈だからって、わたしに当たらないで頂だい」
「別に当たったつもりは無いよ。 むしろ、早く帰りたいな、ここは窮屈だよ」
「あら、お祖父王様ご自慢の応接の間なのに?」
「広さの問題じゃないよ」
こういった場で不躾にも首をコキコキ鳴らしながら、ゼスベルは遠慮せずにボヤいた。 一方のグロリアは、何やら面白そうに大きな目をクリクリさせている。
「……何?」
怪訝そうに眉をしかめるゼスベルに、グロリアは子供らしい可愛い笑顔を見せて、正直な返事をする。
「貴方が礼服着ているの、初めて見たわ! 思っていたより似合ってるんだもの」
「俺は、こんなヒラヒラした動きにくい物を毎日着て過ごしているのが理解できないね」
「あら、王族として当然の事じゃない」
けろりと答えるグロリアに、ゼスベルは全く理解できないと言わんばかりの表情を向ける。 そして小さく溜息を吐くと、そのまま会場から出て行こうとするではないか。
「どこ行くのよ?」
「帰る」
「え、ちょっと待ってよ、ゼスベル!」
とっさにゼスベルの袖を掴んで引きとめようとするが、なにぶん礼服を着慣れていないゼスベルにしてみれば、迷惑この上ない行為であった。 驚いたのと、ぎこちない動きの所為で、体勢を保てず豪快にすっ転んでしまった。
グロリアの良く通る声と、すっ転んだ際の騒音は、衆目を一瞬で集めるのに充分だった。
「だ、大丈夫、ゼスベル!」
大慌てで傍らにしゃがみ込むグロリアに、周囲の森霊たちから漏れる小波のような笑い声が、頭蓋骨に響いた。 痛みを我慢してしかめっ面をしているゼスベルは、誰の目にも道化者にしか映っていない。 集団の中から現れ出てきた父親の差し出す手を、 ゼスベルはそっけなく無視して自力で立ち上がった。
「大した事ない、平気だよ」
実の息子にまるで相手にされなかったギャレサス卿は、少し寂しそうに苦笑いをして、一言「そうか」とだけ返した。
それで諦めるかと思ったら、帰る気満々のゼスベルの肩をがしっと掴むと、そのまま別格の面々が列席する中央へと進み出た。 目を丸くさせて見上げるゼスベルが見たのは、何だか楽しげな様子の父の横顔だった。
「誉れ高い我が君ロス・グラニオよ、一度私の息子を見てみたいものだと、いつぞや漏らしておられたと聞き及びまして。 これがその息子ゼスベルでございます」
「なっ?」
訳が分からず父親を振り返る幼い息子と、玉座で沈黙を守る王の姿を交互に眺めながら、ギャレサス卿は笑顔で言ってのけた。 当然、その場にいた誰もがざわめく気配がした。
数多の好奇の視線に晒されて、幼いゼスベルは一気に警戒心を高めた。 そして、何やら姿勢を整えると、自分の周囲をぐるりと眺め返した。 まるで挑みかかるような目だ。 そして、その目が最後に捕らえたのが、玉座に座すロス・グラニオだった。 正面きって睨み付ける、その度胸は大したものだが、それはあまりにも身の程知らずで危険な態度だった。
ロス・グラニオは、あえて何も言わなかった。
だから、他の者達が口を挟む事も出来なかった。 ただ、父親であるギャレサス卿だけは、事の成り行きに対し満足げな様子で口元に笑みを浮かべていた。
「何か、申したい事はあるかゼスベルとやら、発言を許す」
しばしの沈黙の後、ロス・グラニオはおもむろに口を開いた。 その言葉がさらに場を騒然とさせたのは言うまでもないが、王に対する幼い森霊の返答には、悲鳴が上がらんばかりの大騒ぎとなった。
「帰ってもいいですか?」
「なぜ、帰りたい?」
「つまらない。 それに、ここは窮屈だから」
思わず、グロラスとその息子グラニアスが大きな音を立てて立ち上がり、今にも怒鳴りつけようとするのを見て、場の森霊たちは一瞬で緊急態勢に入った程だ。 彼ら親子の目は、その視線だけで、この幼い森霊を射殺しそうな勢いを見せていた。
その瞬間、実際にゼスベルは身動きが出来なくなった。 もちろん、殺気を制するという森霊ならではの魔力の所為だ。 幼いゼスベルは、まだ魔力の使い方を知らない。 なぜ急に自分の体が動かなくなったのか分からない様子で、何とか動こうと試みる。
「グロラス、よさないか。 相手はまだ幼年期なのだぞ?」
王の一言で、グロラスは我に返ったようにゼスベルを解放した。 あのままにしておけば、あと数分と経たないうちに、確実に殺していただろう。 けれども、怒りが収まったわけではないらしく、不満を満面に表したまま静かに席に着き直した。
「帰るが良い、ここはお前の居る所ではない」
再びゼスベルに注がれた王の目は、静かに、けれど威圧的な色を見せていた。 ゼスベルは何も言わず、静かに素早く会場を出て行った。