散文100のお題

014. あなたのいなくなった日

見上げた空は、虚しくなるほど淡く澄みきった青だった。

初めての朝帰りは、まさかの病院からだった。 一年と半に及ぶあなたの闘病と、わたしたちの看病の生活に静かに終止符を打たれた深夜。 人は引き潮と共に去っていくと何かで読んだ記憶がある。 それはまんざら嘘ではないかもしれない。 そんな感傷に、俄かに浸る事ができたのは、慌しく準備の進められる会場の控え室にあなたが移されて、少し経ってからだった。

生きている者には寒すぎる冷房、その中でひっそりと横たえられて、その時を待つあなた。 ただ呆然と流れていく、静かすぎる時間。

 

「もういいから、あなたは一度家に帰りなさい。 少しは寝ておかないと、また忙しくなるんだからね」

 

そう言われ一人戻ってきたわたしを待っていたのは、どこまでも高く遠い青空だった。 わたしも身軽くなれば、その空へ届くだろうか。 願ったところで、この体は重く、ボコついたアスファルトの歩道から僅かにも浮き上がる事もない。

この空の下のどこにも、もうあなたはいないんだ。 そう思うだけで、見慣れた景色がまるで違って見える事に、今更ながら驚いた。

自分の家、自分の部屋、自分のパジャマ、布団に潜り込んで横になって目を閉じる。 今のわたしには、このまま目覚めないなんて事は、きっとない。 だけど、あなたはもう二度と目覚めないんだ。 そんな実感がようやく湧いてきたのは、棺に納められ、会場へと運ばれたあなたの顔を見た時だった。

泣くまいと思った。

泣きたくないから、この一年と半、精一杯やってきた。 学生の時分だけど、空き時間を作っては病院に通い詰めて、やれるだけの事はやってきた。 ああすればよかった、こうすればよかったなんて、後から悔やみたくないと思ってやってきたから、絶対泣くことなんてないと思ってきた。

それでも、二度と目覚める事のない穏やかな蒼白の顔を見た瞬間、意志に反して溢れ出す涙は止めようがなかった。 止まらなくて、どうしていいのか分からなくて、ただ会場の端っこで泣き続けるしかなかった。

泣きたくなかった。後悔しているみたいで、イヤだったから。

だから、通夜が始まるまでには絶対に泣き止んで、その後は絶対泣かないと決めて、腕時計を見て、もう少しだけ泣いた。

生きてる以上、避けて通れない事ですよね。

2009.01.30 掲載

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