散文100のお題

019. 手負いの獣

週の頭から親父の機嫌がすこぶる悪い。

原因はもちろん、くしゃっと投げ捨てられたスポーツ新聞の記事だろう。

親父がトイレに立った後、覗いてみた紙面には「急神痛い6連敗 すっかり手負いの獣か」という大きな見出しが載っていた。 急神とは、親父が代々根強く応援している野球チーム、急神ビースツ通称野獣の事だ。

親会社の合併やら、球場の移転やら色々とあって低迷していた弱小プロ野球集団だが、熱烈な地元ファンが最強に多いチームとしても全国的に有名だ。 それが今度から監督が代わり、オープン戦では俄に連勝の快進撃を続け、今年こそいけるかも! という期待があっただけに、親父のようなファンの落胆は大きいのだろう。

 

「それにしても6連敗はアカンやろ、ホームで負けてどないすんねんな」

独り言のつもりだったのだが、ふと背後で負の気配が揺らめいた。 そういえば、さっき水流す音してたっけか。

「昨日の試合は中継ぎがあかんかったんや。 5回まで無失点やったんに、6回表でボカスカ打たれよって。 何で柳本に6回まで投げさせへんかったんや」

「あ、親父もう出てきたん。 朝からその景気の悪い顔やめてぇな、適わんわ〜」

 

自分で投げ捨てたくせに、それを今一度ひったくると親父は徐に神棚に奉り、柏手を打って拝み始める。 神棚といっても学問や商売繁盛の神ではない。 祀られているのは12年前のビースツ優勝記念写真、そして急神ビースツのマスコットキャラクター、野獣のヴィッキーとその彼女ヴィクトリア。 マスコット以外は全て親父のお手製だ。

「今日は勝つ。 勝って今年は優勝や! 頼むで〜鶴見」

鶴見とは今シーズンから監督に就任した元急神ビースツの名捕手だ。 男前でも有名だったとかで、うちの母親なんぞは未だに鶴見の名前を聞いただけで青春時代へトリップ可能だ。 昨年までは親父がテレビの前に陣取っているだけで眉をしかめていたのだが、今年は熱烈な野獣ファンである親父を押し退けて、ちゃっかり自分がテレビの前を占拠している。

狭い居間での場所取り合戦で最初は強気に食って掛かる親父だが、その内に母親の逆鱗に触れ一蹴され、諦めきれずに何とか頭を下げて場所を譲ってもらおうとする親父と、「あんたが見るから野獣が負けるんやわ、あたしに任しとき!」と一喝食らわせて一歩も動かない母親を見ていると、野獣がヘタレなのは熱烈なファンが既にヘタレだからではないのか、と思わざるを得ない。 事実、何故か母親が試合を見ている時は全戦全勝、十割の確率でビースツが勝利している。 球場へ出かけた日、5本もホームランが出た事もあった。

そんなこんなで我が家では常に急神ビースツが生活の中心にある。 まあ、ここいら一体はどこも似たようなものだろう。 急神ビースツは既にDNAの一部に組み込まれているに違いない。 クラスメートの七割方は、既に野獣の10番目の野手、要するに熱烈なファンだ。

いつか自分も野獣DNAが活性化して進化する日がくるのだろうか。 野獣の子は野獣。 そう思うと溜息が止まらない。

親父、俺は野球よりペタンクの方が好きだ。

何、そんな息子に育てた覚えはないぞ!

2009.04.17 掲載

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