散文100のお題

022. 皆無

そこには何も存在しない。

影形もなく、息遣いも気配もなく、しかしそれが自然であるもの、そういうものに時々ふっと憧れる。

それは、いわゆる命尽きるとか、生を全うするとかとは、また違う概念で。 今あるものが突然ぱたりと消えてしまうとか、絶たれてしまうとか、何か喪失感を味わうものとは別のもので。

ある形が、少しずつ少しずつ薄れていく様は、まるで陽光が射す毎に晴れてゆく霧のように自然で。 ある存在が失われた空間は、まるでそれが始めからそうであったかのように、周囲に溶け込んで、受け入れられていく。

 

知られていたはずのものが、そっと流れ出すように忘れられていく。

打ち寄せる波にさらわれる砂のように、さらさらと。

 

抜け出せないと思い込んでいた自我からも、ふっと軽やかに解き放たれていく。

硬い殻を打ち破り、呼吸する雛のように、初々しく。

 

そこはどこまでも広く、遠く、限りなく果てがない。

その中で、小さな小さな気泡が湧きたち、一つ一つ離れてゆく。

巨魁と化した荷を丁寧に、確実に、削ぎ落としてゆくように解れてゆく。

 

やがて訪れる完全なる無の中で、安らかな調和を生み、育んでいく。

そこにはやはり、何もない。

目に見える形では、五感で感じられる形では、思考されうる形では、何も存在しない。

 

そういうものに、時々ふっと憧れる。

あれこれ迷って、初期の文体に戻ろうと頑張ってみる……回帰現象。

2009.05.15 掲載

Copyright© Kan KOHIRO All Rights Reserved.