そこには何も存在しない。
影形もなく、息遣いも気配もなく、しかしそれが自然であるもの、そういうものに時々ふっと憧れる。
それは、いわゆる命尽きるとか、生を全うするとかとは、また違う概念で。 今あるものが突然ぱたりと消えてしまうとか、絶たれてしまうとか、何か喪失感を味わうものとは別のもので。
ある形が、少しずつ少しずつ薄れていく様は、まるで陽光が射す毎に晴れてゆく霧のように自然で。 ある存在が失われた空間は、まるでそれが始めからそうであったかのように、周囲に溶け込んで、受け入れられていく。
知られていたはずのものが、そっと流れ出すように忘れられていく。
打ち寄せる波にさらわれる砂のように、さらさらと。
抜け出せないと思い込んでいた自我からも、ふっと軽やかに解き放たれていく。
硬い殻を打ち破り、呼吸する雛のように、初々しく。
そこはどこまでも広く、遠く、限りなく果てがない。
その中で、小さな小さな気泡が湧きたち、一つ一つ離れてゆく。
巨魁と化した荷を丁寧に、確実に、削ぎ落としてゆくように解れてゆく。
やがて訪れる完全なる無の中で、安らかな調和を生み、育んでいく。
そこにはやはり、何もない。
目に見える形では、五感で感じられる形では、思考されうる形では、何も存在しない。
そういうものに、時々ふっと憧れる。