ほのぼのファンタジー小説

茶色のこびんLOVE〜びん奥さんの初恋物語〜

茶色のこびんLOVE〜びん奥さんの初恋物語〜

04.ひぐらし旦那と世界

相変わらず、忙しく日々を過ごす若かりし頃のびん奥さんは、その日も例外なく働いていた。 買い物帰りでしばらくぶりに選んだ道を行くと、小川の土手にのんびり寝転がっている人影が突然目に映った。 そして、暢気な鼻歌が聞こえてくる。

 

『行っては帰り 帰っては行く

道行く人は みな忙しく

空の青さも 小川のセセラギも

みんな何にも聞いていない

弾き飛ばした石ころさえも 見ていない

世界はこんなに広いのに……』

 

もしやと思って土手を降りていき、覗き込む。 間違いなく、いつぞやの変わった若者だった。

『随分とヒマそうじゃないかい、ひぐらし旦那?』

まだ続いていた様子の気ままな鼻歌が、ふつりと途切れると若者はゆっくりと身を起こして振り返る。 そこに立っていたびん奥さんは、両腕組みで若者を見下ろしていた。

『やあ、これはおっかないお嬢さん……何か御用ですか?』

若者も驚いたのだろう。 おっかないお嬢さんと言われたことが、妙に恥ずかしくなり、びん奥さんはそっぽを向いた。

『別に。 ただ、あまりに暢気で訳の分からない鼻歌が聞こえてきたからね、それ自作?』

『お耳に入り、光栄ですね。 残念ながら、これは祖父譲りでね、多少のアレンジは加えてあっても自作じゃないですよ。 僕の独り言が何か?』

若者はゆっくりとした口調で答えた。 びん奥さんは、そのあまりにも間延びした受け答えに、とっさに言葉が出てこなかった。 別に始めから喧嘩腰でなくてもよかったのに……珍しいことに、動揺している自分がいた。

『別に……』

 

ひぐらし旦那は起き上がると、そのままホテホテと土手を歩き出した。 やっぱり口笛を吹いて、時々あの暢気な鼻歌を口ずさんで歩く。 目的のない歩き方は、気ままな散歩そのままだった。

『どこ行くの?』

『さあ、足の赴くままに歩いてるんでね』

『何がしたいの?』

『特に考えずに歩いていると、ある時ふっと、やりたい事が見えてくる……とよく祖父が言ってましてね』

『何、それ』

『さあ、僕にも分かりませんな。 今のところは』

 

全く掴みどころのない受け答えに面食らいながら、びん奥さんは再び歩き出す。 数歩前には、ほんとうに暢気な足取りでひぐらし旦那が歩いている。 別に一緒に歩いているわけではない、たまたま同じ方向に進んでいるだけだ。 それでも、びん奥さんはそわそわと落ち着かない心地だった。

そうしているうちに、気が付くと村の入り口が見えていた。 びん奥さんが村に入って振り返ると、ひぐらし旦那は既に背を向けてホロホロと歩き去っていた。 道に落ちている影が、鼻歌を歌っているらしく揺れている。

 

『やっぱり、分からない人だね』

道中送ってくれたわけでもなさそうだったし、お礼を言うべきかどうか迷った。 そうこうしている間に、辺りはどんどん暗くなり、びん奥さんは慌てて家路を急いだのだった。

 

それから、たまに見かけても、ひぐらし旦那は、いつでもフラフラとほっつき歩いていた。 びん奥さんも方向が同じであれば、途中まで後ろを歩くだけだった。

ひぐらし旦那は会う度に鼻歌を歌っていたし、びん奥さんは聞いても知らんフリをしていた。 ひぐらし旦那は、石ころや雑草や小川を長い時間眺めては、何やら言ったが、びん奥さんは何も答えなかった。

 

『何がそんなに楽しいのかね、喋りゃしないものばっかり……』

洗濯物を干しながら、びん奥さんは何気なく生えている雑草を眺めて呟いた。 今まで、たいして気にも留めていなかったが、植物は無言でそこに咲いているし、石ころはそこら中に転がっている。

小川はいつでも流れているし、風だって気付けば吹いているのだ。 改めて、それに気が付いた時、びん奥さんはなぜだか心がホカホカするのを実感した。 同時に、何で今までそんな事を考えもしなかったのか、逆に疑問にも思った。 常に生活と密着しているものばかりだったのに。

 

『おや、それが普通なのですよ』

ひぐらし旦那は簡単に言った。 その日は、両手に植木鉢を持っていて、まだ花芽のない小さな植物が植えてあった。 大切そうに抱える手つきが、妙に印象に残った。

 

『それ、どうするの?』

『大きな奥さんに、差し上げる為の物です』

『大きな奥さん?』

『そうです、もし良ければ、一緒に行きますか?』

 

何となく気になって、びん奥さんは後ろをついて行った。 村を抜けて少し歩くと、川辺に建つ大きな小屋が見えて来た。 それが、彼らの言う大きな人たちの家であることを、びん奥さんも知っていた。

『本当に、堂々と入るんだね、見つかったら大変じゃないかい』

『大きな奥さん以外に、見つからなければ良いだけの話。 やあ、大きな奥さん、ご機嫌はいかがですか?』

ひぐらし旦那は、窓辺の植木鉢に水をやる一人の大きな婦人に声をかけた。 大きな奥さんが振り返った時、さすがにびん奥さんはビクリとしたが、ひぐらし旦那は平然とお辞儀をした。

大学時代、文芸部の部誌に投稿した作品です。この時もお題がありました。「は・つ・こ・い(はぁと)」でした。 当時の部長(通称、女帝)の突然の乱心かと、一同騒然としたのを覚えています(笑) そんなこんなで皆して苦しんだお題でしたが、ふっと茶色のこびんの続編を思い当たったのでした。

2002.11 掲載(2010.09 一部加筆修正)

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