ファンタジー小説

ひつじのやぶ医者

ひつじのやぶ医者

02.紙飛行機とひつじと医者

前方には、ぎゃーぎゃーとやかましい紙飛行機が飛行中である。 聞こえる範囲では、およそ悪口と思われる単語が飛び、それが誰を指しているかも明白であった。 今更だが随分と威勢の良い、そして口の悪いお嬢さんが紛れ込んで来たものである。

(チャムちゃん以上に手を焼く事になりそうだ……)

口の中に広がる苦々しい何かを噛み潰して、ドクターは不慣れな手付きで紙飛行機を操り、前を行く患者の紙飛行機に並んだ。 患者は気付くや否や、ドクターに向かって機関銃の如く悪口と非難を連発してくる。

端から見れば元気がはち切れんばかりにも見えるが、ドクターの経験から空元気であると充分に察しがついた。 ただ問題は、一言何かを質問しようものなら反射的に噛み付いてくるものだから、ろくろく診察もできない。 当分は見守るしかないのを覚悟して、ドクターは黙ってひたすら弾丸を浴びつづけたのである。

(本当に、何て容赦の無いお嬢さんなんだ……)

 

ドクターが蜂の巣の如くなる自分の心を自覚し難儀している頃、診療所では次の患者さんが診察を待って窓口に顔を出していた。 応対したのは当然、自ら留守番を買って出たチャムちゃんである。 笑顔でシャーシャーとこう言った。

 

「ドクターはただ今往診中です。 しかしながらご心配なく、わたくしピンチヒッターのチャムちゃんが、ずばり貴方の悩みを解決してみせましょう!」

 

「助手さんがですか? 大丈夫なんですか? 失礼ですけどお医者になって何年?」

「お医者じゃありません。 アルバイト中ですが、本職は占い師です!」

これを聞いた時の患者さんの反応は、限りなく察しがついた。 ドクターが知ったら、きっと顔面蒼白して怒るだろうな――とは全く考えず、チャムちゃんは勝手に患者さんを診察室に通してしまったのである。

 

●×▲★■

 

「どこまでついて来る気? ウザいんだけど!」

先程からずっと毒を吐かれっぱなしのドクターは、どうとも言えず無言で笑顔を作るしかなかった。 そろそろ頬の辺りが引きつってきていた。 あれやこれやと思いつく良策を試みていたのだが、少しも打ち解ける様子がない。 相手を必要以上に刺激しないよう気を配りながら観察していて思った事は、訴える体調不良はストレスからくるものだろうという事である。

だからと言って、率直に「そんなに深刻にならなくても、もっと気楽にしてください」なんて言おうものなら、暴発しかねない……それは困る。 立場的に言えば、やっぱり気持ちよく解決して帰ってもらいたい。

 

今時女子高生受けしそうなお笑いネタなんて、咄嗟に思いつかないし、大道芸的な特技もないし、歌えば何故か鳥が落ちてくる。 そもそも、まずそこへ至るまでの会話が成り立っていない事に行き当たり、すっかり考えが煮詰まってしまった。

うーん、うーん、と唸っていると前方が疎かになっていた。

「ちょっとー、後ろから何かぶっ飛んで来てるけどー?」

その声にハッと我に返り周囲を見回すと、患者さんは2時の方向を悠々と飛びながら遥か後方を指差している。 そして自分は後方から超高速で飛んでくる羽の付いたボトル集団の前をトロトロ漂っていた。

 

南無三!

 

「び、び、び、びっくりした! もう少しで郵便屋さんに轢かれるところだった……」

 

あわや大惨事かとヒヤリとしたが、ギリ手前で奇跡的なアクロバット飛行で回避したドクターは、しばらく平和な大空をホバリングしていた。 心臓を吐き出してしまうんじゃないかと思うくらい動悸がしすぎて気持ち悪い……手なんかピクピクと痙攣してイヤな汗をかいている。 一瞬確かに垣間見た走馬灯……たぶん、今のは本当に危なかった。

それでも落ち着きを取り戻した頃、迷える子羊ちゃんがキレのあるUターンで戻ってくると、ぴたりと並走する。

「助かりました、ありがとうございます」

ドクターは未だ引きつる笑顔を見せつつ、ほっとした様子で子羊ちゃんに素直に礼を述べる。 一瞬言葉を詰まらせた子羊ちゃんが、次に発した言葉にはトドメとも言うべき即効性の毒が含まれていた。

「どーせなら、轢かれちゃえば良かったのに」

そして、急発進して飛び去っていったのである。 短時間で大したバランス感覚だといわざるを得ない。 すっかり紙飛行機の操縦をマスターした、そのたくましくも可愛げのない後姿が妙に印象的で、言われた事もミックスされて、ドクターは束の間あらぬ方向を呆然と眺めていた。

(ただ、それだけを言いにそんな鋭いUターンをして戻ってきたのか、君は)

 

まったく最近の紛れ込んで来る人達は、どうなっているんだ。 言葉にすらならない落胆を、溜め息と共に吐き出して、ドクターは患者さんの後を追いかけた。 遠くから見守る程度の追跡だが、本来探偵になれるほど器用でもない。 しっかり尾行している事はバレていた。 迷える子羊ちゃん、もとい岡本圭がますます不機嫌になったのは言うまでもない。

「何、あのオッサン、ストーカーなんじゃないの?」

明らかにオッサンと呼ぶには若すぎるのだが、機嫌最低の女子高生に言わせれば、誰でもオッサン化、オヤジ化するのである。 とりあえず宛てもないから、ただ飛んで行くが、それにも段々飽きてきた。

後方の空にドクターが来ている事を分かっていながら、縦横無尽に飛び回り、散々ドクターを困らせてみたりする。 振り返って見ると、慣れない手付きで危なっかしく着いて来る姿が可笑しくて、時々並んで飛びながら毒を吐いてまた飛び去った。

その間に、ドクターは前を行く無謀な紙飛行機を見失うまいと、必死で後を着いて回りながら何度となく命の危険を感じる場面に遭遇していた。 このままの状態が続けば、必ず死ねる……そう思いながら飛んでいた矢先、再び元気な迷える子羊ちゃんから発せられた言葉には、さすがにカチンとくるものがあった。

「オッサン、まじトロすぎ! いつでも死ねるって感じ」

こちらに紛れ込んで来たはずの迷える子羊ちゃんは、明らかにドクターよりも環境に馴染むのが早かった。 紙飛行機だって、まるで手か足かと言わんばかりに自由自在に操っている。 言いたい事も言いたい言葉で、言いたい放題……若さゆえだろうが、一言で言うならば、無茶苦茶だ。

ドクターだって充分若い域の人間だが、この数時間で明らかに老けた。 溜め息の数も増え続けた。

「あのさ、あの辺行きたいんだけど地理感覚ないの、あたし。 ついでだから観光ガイドしてよ。 あたしの後ろから着いて来れば轢かれないし、ねぇ、いいじゃん」

「え、あの、ちょっと!」

言っている間に迷える子羊ちゃんは好き勝手に飛び回った。 しかもドクターを観光ガイドにして、すっかり遠足か修学旅行気分である。 仕方なく後を着いて行くドクターだが、今となってはドクターという名称も虚しく風に飛ばされていった。

 

「ちょっとガイド! 何やってんの? 少しは役に立ってよ!」

 

状況に慣れて余計に我儘に、そして態度のでかくなった迷える子羊ちゃんは見た目にはパワーアップしていた。 ドクターと患者の立場が逆転したまま、時間だけが虚しく過ぎてゆくのだった……。

2003年、当時所属していた文芸部の部誌に投稿した作品です。

2003.02 掲載(2011.03 一部加筆修正)

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