10.スープと会話---ディルーグ・フ・スープ
ぐるりとそこらを歩いて帰ってきた老人達は、家の中に入ると食欲の出る匂いを嗅ぎながら外套を脱いだ。 そして、更に奥へ進み食卓に用意されていたスープを見て、思わずにっこりと笑みを漏らした。
「これは、これは」
「うむ、腹が減った」
客である老人達は、いそいそと席に着く。 そんな中、フェルドベンだけがじっとスープを見て、それから弟子の方に目をやった。 ラスタムが他の二人に気付かれないように、食器類を運びながら小さく肩をすくめて見せた。
(お前さん方、やりよったな?)
師匠の目はそう語っていた。 それから、やはり悪戯っ子のような目で片目を瞑ると、何食わぬ顔で席に着いた。
調理された食材を知りつつ、やはり初めて食べる老人二人の感想が気になるようだ。 目の前で善そわれるスープを見て、口元だけで笑っていた。
全員が席に着くと、改めて夕食の始まりだ。 見た目は普通のスープだ、匂いも良い。 スプーンで掬った瞬間、俄かに鼻腔を掠める健康的な香りに、客である老人達は共に眉頭を上向けた。 子供達がじっと自分達を見ているのに気が付いて視線を合わせると、何故かふいっと逸らされてしまった。
「何だ?」
「どうしたマグレオン?」
すかさずフェルドベンが口を挟んだ。 スプーンを持つ手を皿の上で止めて、徐に尋ねてくるものだから、マグレオンは慌てて「何も」と返した。 フェルドベンの目が、何だか怖かった。 (弟子達の手料理が気に食わんのか?)と暗黙のうちに言われている気がしたからだ。
「ん?」
フェルドベンとマグレオンのやり取りを他所事に、先にスープを口にしたレクヤーマスが、何だか珍妙な声を漏らした。
不思議な味だった。 カボチャの甘味がしたと思ったら、遅れて生マメを噛んだような苦味がやってくる。 しかも、何のマメの味なのか判別がつかない。 考えているうちにマメの味が消えて、最後に香ばしい香料の風味が内側から上ってくる感じだ。
もう少し考える為に、また一口掬って飲む。 二口目はもっと不思議だった。 スープのとろりとした喉越しの中でまるでマメとカボチャが飛び跳ねている感じがした。 マメやカボチャと思って食べると、これがまた何なのか判別がつかなくなる。 しまいには、キノコ類と山菜を混ぜ合わせて、乳製品で包んでしまったような感覚を覚えるから、不思議としか言いようが無い。
「何とも不思議な味だね」
決して不味そうな表情は見せないレクヤーマスだが、物の表現に困っている様子だ。 言葉の専門家が困っているのだ。 それを見て、マグレオンは目の前のスープに目を落とす。 フェルドベンに急かされるように、まずは一口食べる。 そして……
「何じゃ、こりゃ」
まるできつねに摘まれでもしたかのように、目をくりくりさせてもう一度スープに視線を移す。
「今まで食べた事もないぞ、こんなスープ」
「食べれば食べるだけ、表現が難しくなる。 これは一体何のスープなんだい?」
四つの視線が子供達に集まる。 子供達はお互いの顔を見て、それから先に噴き出したのはダイオン少年の方だった。
「巨人のマメスープだよ!」
「何だって?」
マグレオンが更に目をクリクリさせる。
「巨人のマメ……ここには生息しているのかい?」
レクヤーマスも驚いたのか、思わず身を乗り出してしまった。 弟子が驚いて目をぱちくりさせているのを見て、フェルドベンが静かに制す。
「この辺りでも自然に生息している訳じゃない、これはラスタムが育てたものじゃ」
「育てた!」
マグレオンとレクヤーマスが同時に声を上げた。
「一体どうしたんですか、師匠も石の老も?」
訳が分からないというように、ダイオン少年が交互に老人達を見ている。
「あ、いや何でもないよ。 ただ、驚いただけだよ。 本当に、その、巨人のマメをラスタムが育てたのかい?」
「ちゃんと裏の菜園に生えてたよ」
ダイオン少年がけろりとした様子で答える。 既にスープをおかわりしていた。 一方で老人達はこぞってラスタムの方に視線を注ぐ。
「それは本当かね、ラスタム?」
「はい。 ちゃんと根付くまでに十年もかかっちゃったけど、収穫できるようになったのはつい二、三年前からなんです」
「こりゃ、たまげたな」
マグレオンが感嘆の声を上げて椅子の背にもたれかかった。
「そんなに珍しいんですか、巨人のマメって? 確かにここに来るまでは僕も見た事も無かったけれど」
師匠を仰ぎ見て、また一口マメスープを頬張る。 師匠は静かに頷いて、自分もマメスープを掬って食べた。
「名前の通り、栽培方法を知っていたのは巨人たちだけだったと言われるくらい、育てるのが難しい植物なのだよ。 自然界でも自力で育つのはほんの一部でね、今ではとっくに絶滅してしまったものと思っていたが……」
「師匠たちでも知らないんですか?」
「わし達も万能というわけにはいかんよ、ダイオン。 専門以外はむしろ知らない事の方が多いくらいだ」
マグレオンが静かに少年の目を見て答える。 それを不思議そうな目で見返して、少年は意外そうに首を傾げていた。
「じゃ、植物の専門もいるんですか?」
「ああ、おるよ」
「へえ、何て言うんですか?」
「これこれ、そのくらいにしてまずは食事を済ませてしまわんと、せっかくのスープが冷めてしまうじゃろう、ダイオン」
穏やかに話を割ったこの家の主は、見習えと言わんばかりに視線を自分の弟子に移した。 そこには一人だけ食事を終えてしまって静かに座って待っていたラスタムの姿があった。 お皿も湯呑も空っぽだった。
「団欒は食事が終わってからじゃ、良いかな?」
この家ではそういう決まりがあるらしい。