07.孤島の領主---ソロタイル・ロンド
この一月というもの少年は一日たりとも怠らず、懸命に見も知らぬ怪我人を介抱した。 その甲斐あってか怪我人は、誰の目にもすっかり健康を取り戻したように見えた。 もっとも、少年と怪我人以外は誰も居ないけれど。
少年にとっては随分と忙しい月日となったが、この一ヶ月間、誰も彼の元を訪れなかったのは、少年にとっても怪我人にとっても幸な事だった。 見つかれば、大変な騒ぎになる事は明白だったから。
少年は、いつものように朝、日の昇る前から起きだして一日分の新鮮な水を汲んでくる。 物心付いた頃からの当たり前の仕事だった。 これがないと、一日喉をカラカラにしていなければならないのだから。
「あれ、マルセイさん?」
大きな水瓶いっぱいに水を汲んで帰ってきた少年は、いつも居る場所に誰もいなくて首を傾げた。
彼が介抱している怪我人は、充分会話も出来るまでになっていたが、名前を聞いても答えてくれないから、少年は勝手に『
何て不思議な目をしているんだろう。
何色とも付かない目は、日の光や周囲の環境で微かに色が変わるのだ。 それに、奥底に広がる哀しげな影が横たわっている。 何か言おうものなら、即座に貫かれそうな鋭い眼光を宿しているのも不思議だった。
……なのに、その更に裏側には硝子のように透明な気配がするのだ。
少年は、こんな不思議な目を今までに見た事が無かった。
きっとこの人は
水瓶から大甕に移し終わると、空になった瓶を隣に置いて少年はきょろきょろと周囲を見回した。 ここから出て行く術など無いのだから。 そう思いながら振り返ると、後ろにマルセイが立っていた。
「わ……、びっくりした。 何処行ってたんだ、マルセイさん?」
「歩いていた」
そっけなく言うと、視線を遠く彼方に向けた。
「どうしたの?」
「さっきも見かけたが、誰か来る。 男だった」
それを聞いて少年は、さっと青くなり、強張った。 どうやらあまり都合の良い事ではないらしい。 案の定、少年は慌てたようにマルセイ――ゼスベルの袖を引っ張った。
「た、大変だ……隠れて、どこかに隠れて!」
「なぜだ?」
憮然と突っ立っているゼスベルの袖を引っ張りながら、少年はおろおろと何処か隠れるのに適当な場所を探しているらしい。 自分みたいに小さければ、そこら辺に隠れる場所など幾らでもあるが、大の大人となるとそういう訳にもいかない。 この辺りの見通しは良すぎるくらいなのだ。
「慌てるな。 ここに辿り着くのは日がだいぶ昇ってからだ」
「え?」
振り返った少年が見たのは、遠く彼方の方角を指さすマルセイだった。
「ついさっき館を出たばかりだからな」
「えぇええ? 」
驚いて目をシロクロさせている少年の脇を通り過ぎると、ゼスベルは家の中に入って片隅の壁に寄り掛かって座った。 あんまり落ち着いているものだから、少年は何だか気が抜けてしまった。
「ど、何処まで歩いてきたんだ?」
「その辺だ。 ここいらは随分見通しが利く。 地理と位置関係は、だいたい把握した」
「え、えええぇえ? だって、ここは……」
「ああ、島だな。 東西におよそ一万五千デュロン、南北におよそ八千デュロン……大きさとしてはなかなかだな。 大陸と呼ぶには今二、三歩といったところだが」
「は……ぁ?」
わ、分からない……。
つい一ヶ月前まで、この人は重度の怪我人で、崖下の岩礁だらけの海水溜りで見つけた時には、ほとんど死に掛けていたというのに。
「マ、マルセイさん……あんた一体」
そんな少年を一睨みすると、ゼスベルはすっくと立ち上がって外の様子を窺った。
「お前、ずっとここで育ったのか?」
「え? あ、ああ」
とっさの反応が鈍かったのは、唐突な質問に驚いていたからだろう。 少年はぎこちなく肯定しながら、こくこくと首を上下させた。
「今年で十二だ。 親はどっちも居ない。 この島は全部私有地なんだ」
「そこまでは聞いていない」
ゼスベルは窓の外に目を向けたまま、きっぱりと遮断した。 少年は明らかに落胆していた。 先刻から、どのくらい張り詰めていたのだろうか、ゼスベルは静かに再び口を開いた。 今度はかなり神経を尖らせてような調子だ。
「この島は、あの男の物なんだな?」
「え?
少年は慌てたように立ち上がり、落ち着き腐っているゼスベルの傍らで、おたおたし始めた。
「まずいよ、隠れて!」
「さっきから何だ、隠れろ隠れろ……うるさい」
「あんた、ここ私有地だよ? 殺されるよ!」
「ご苦労な事だ」
ちょっとした不法侵入くらいで人殺しをしているとは、とんだ労力の無駄遣いだ。 ゼスベルはそう思ったが、少年は「何言ってるんだよ、あんたは」と言わんばかりの溜息を吐いた後、袖を引っ張って裏口に回った。
調度その頃、最後の丘陵を越えて、一人の男が馬を駆り降りてきたところだった。