裂けた大地の物語

知恵の巨人---エングス・イエスト

08.権力の剣---ゾール・イープ

小さな小屋の前で馬を下りると、男は大股で進み荒々しく戸を叩いた。 彫りの深い顔に、一層深く刻まれた眉間と下顎の皺が否応無く目に付く。 着ている物や馬の装飾、そして何より本人の発する雰囲気が、この島の唯一の主である事を沈黙の内にも表していた。

孤島の領主アレイン ―― アレイン = エ・ソロタイル・ロンド。 名前が出ると必ずそう呼ばれた。 この四方を大海に囲まれた巨大な島の一番高い丘陵に構える冷たい石の要塞。 そこにたった一人で住む初老の主。 この島で絶対唯一の権力者が、今、何の変哲も無い、今にも強風に煽られて倒れそうな小屋の前に立っていた。

 

「セクルート、セクルート!」

まるで当然の権利のように戸を押し開くと、領主は小屋の中をまず眺め回した。 生活の為の水甕以外には大きな物は何も無い。 仕事の為の農具や工具が小屋の隅の棚に雑然と並べてある以外に、変わったところは特に無い。 だが、領主アレインの視線は鷹も居すくむ程鋭い。

「セクルートは何処に居る!」

「あ、はい……はい、ここに居ます!」

ぱっと裏口から飛び出してきた小汚いなりの少年を一睨みすると、領主は眉間の深い皺を一層深く刻み込んだ。

「何をしていた」

「な、何って……水を汲みに行ったんです。 その後は裏で苗の手入れを……」

「だったら、なぜもっと堂々としない」

少年の些細なぎこちなさを、この領主の目は見逃さなかった。

 

何かを隠している。

そう直感すると、領主は腰に佩く刀の柄に手を置いて仁王に構えた。 装飾も華やかな刀は、およそ一ガロ強の重々しい様子だった。 硬くごつごつと強張った親指が、しっかりと柄を押さえている。 その様子を少年は、静かに目だけで追っていた。

「セクルート、お前、何を隠している。 包み隠さず述べよ」

「何も隠していませんよ!」

少年も必死だった。 この頑なな態度は、今までを踏まえて考えても、ちょっとやそっとでは崩れない。 領主は暫く少年を穴が空く程眺めていた。 少しでも後ろめたく思ったり、怖気づいたならば、即刻、締め上げてでも吐かせようと思ったからだ。

 

だが、少年はなかなかしたたかだった。 初めのうちは強張った口元をしていたが、だんだん緩んで今じゃ、普通に領主を見ているのだからだ。 そのうちに今度は笑い出すんじゃないかと思えた程だった。

「随分と秘密主義になったようだな、セクルート」

「だって、そういう名前ですからね」

「そうか」

その瞬間、セクルートは宙を吹っ飛んでいた。 あまりに急だった為に、痛みの方は暫く遅れてようやくやってきた。 何が起こったのかとっさに理解でずに、きょとんとしていた。

自分の目の前で立ち止まった立派な革靴の最後の一歩が大きく床に響いたのを聞いて、自分がこの靴の主の不興を買った事に気付いた。 気付いた時には、更にもう一撃加わっていた。 重たい圧迫感が呼吸器を麻痺させる。

そして更にもう一撃。

何撃目かで、目の前が霞んできた。

 

(今回は、冗談抜きにやばい、かも……)

朦朧とする意識の中で考える事が意外と冷静だった。 自分の事なのに何故か可笑しかった。 死に掛けているのに、自然小さな笑みが口の端から零れた。

「何が楽しいのだ、セクルート」

そんな少年の様子は、領主にとっても一種異様なものに映ったらしい。 つぶてが止み、残された激痛と圧迫感にひぃひぃ言いながら、それでも少年の中に湧き上がった笑いは止めようが無かった。

「気味の悪い奴だ、お前は」

血反吐を吐きながら小さく痙攣するように笑っている。 その様子が不気味だったのだろう、領主は少しばかり肩をすくめる様に数歩離れると、そのままきびすを返そうとした。

その時だった。

 

「呆れた領主様だな」

 

戸口に見慣れない男が立っていた。 気配すらさせず、一体いつからそこに居たのだろうか。 まるで長年生えている木のように両手を組んで立っていた。 そして、人の物とは思えない、底なし沼のような奥の見えない暗い双眼を向けていた。

「だ、誰だ貴様……っ」

「誰だって構わないだろう、どうせすぐ出て行くんだ」

不思議な訛りを持つこの男に危険を感じ、領主はとっさに己の剣の柄をしっかりと握った。 だが、抜くには至らなかった。 相手があまりにも無防備だったから。

 

「やめとけ、こっちは丸腰なんだ。 抜いてしまえば卑怯者だ」

 

その言葉に躊躇したようだった。 悔しそうに柄にある手を震わせている。 抜く気は無いようだが、抜きたくて仕方が無い様子だ。 何かほんの小さなきっかけさえあれば、すぐにも爆発しそうな感じがした。

「マ、ルセイさん、何で……?」

少年がぼんやりと、蚊の鳴くような声を絞り出す。 まるで、肺から漏れた空気そのもののようだった。

 

「やはり、隠していたのだな、セクルート!」

領主の声が一気に怒気を含んで膨れ上がった。 その勢いのまま剣を抜き放ったが、その切っ先が向けられたのはゼスベルではなく、床にうつ伏せになっている少年の方だった。 打ち下ろそうと振りかぶった直後、強烈な攻撃が領主の鼻を打ち砕いた。 ゼスベルの雷のような肘打ちだった。

手から離れた剣は華やかな音を立てて床の上に弾け、その使い手もまた、もんどりうって床に倒れこんだ。 鼻血が床や壁に飛んだ。

「丸腰相手でも、油断は禁物だろう?」

鼻を打ち砕いたゼスベルの右腕は、まるで痛みすらしなかった。 以前の怪我が嘘のような軽快で切れのよい動きだった。 やはり竜の血ルドナニマの効力は大したものだ。 仕留めた甲斐があった。

「マ、マルセイさん……?」

 

「別に助けたわけじゃない。 ただ気に入らなかっただけだ」

 

きっぱり言い切ると、少年を助け起こすわけでもなくゼスベルは外に出て行こうとする素振りをみせた。 だが、出て行く前に振り返り一言だけ尋ねたのだった。

 

「お前も来るか」

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2004.07 掲載(2010.08 一部加筆修正)

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