裂けた大地の物語

ゼスベル哀歌---フォーヌ・ゼスベル

4.まだ、昼だ --- キーエ・サスドゥーン

いよいよ競技祭グランデュロアを目前に、グランドウの血を引く息子たちは、ますます殺気立っていた。 もちろん、出るからには一番になり英雄となるつもりでいる為だ。

そして、王位継承権を持つ王族たちは、事実上の王権を賭けたこの祭に、人生を賭けて臨むつもりだ。 王城やその他の場所でも、すれ違う時や行き交う一瞬の何とも形容しがたい敵対心は隠しようも無い。

 

「グランデュロアまで後二日か……」

現王グロラスは一番信頼している息子を呼んで、祭典の準備の事云々を確かめる。 グラニアスは礼儀正しく控えて、万事順調である事を告げた。 ただ、グラニアス自身も納得出来ないでいる遺恨が一つだけ残っていたが……

「この度のグランデュロアに、奴は出るのか?」

ぽつりと尋ねるグロラス王の後姿は、ただそれだけでグラニアスをぎくりと強張らせた。 言わないでおこうと決めていたのだ、尋ねられない限り。

「ゼスベルの事をお尋ねならば……いいえ。 既にこの森を離れております」

「出ないのか」

「今頃、何処をふらついているのかは、定かではありません」

「お前でも、奴を取り逃がしたか」

「恐れながら」

 

あれから既に五日も経っているにも拘らず、グラニアスの喉は未だ痺れを伴う。 ほんの些細な痺れで生活にも戦いにも何ら支障は無い。 ただ、彼自身の自尊心は、今も攻撃を受けているような錯覚を覚える。

「奴が最後にグランデュロアに出たのは、いつだったか?」

「ゼスベルが……ですか。 確か二百年程前であったかと記憶しておりますが」

「……そうだったな。 いや、もう良い、二日後の為にゆるりと体を休めておけ」

「はい、失礼致します」

グラニアスはあくまでも礼儀正しく、堂々とした物腰でグロラスの前を下がっていった。 あれなら充分申し分ないロスとなるだろう。 それだけの器量も力量も既に備えている。

 

だが、そのグラニアスですら、ゼスベルには敵わなかった。

 

本人はあくまでも隠していたが、声が普段と比べて僅かに低くかすれていた。 もちろん、気にしなければ全く気付かない程度のものだ。 気付いたとしても大半の者が問題ないと口を揃える事だろう。

確かに、その通りかもしれない。 だが、決して楽観できる事ではない。

それはつまり、闘将の異名を持つグラニアスの殺気を、打ち殺すだけの力をゼスベルが持っているという事に他ならない。 そして、先程の口振りから察するに、ゼスベルはおよそ無傷で旅に出て行ったと考えて良いだろう。 例え、グラニアスが次の王に立ったとしても、王家とその地位は常に危険にさらされる事になる。

 

王家が覆されるかもしれない。

 

グランドウ以来、守り続けてきた王座を若輩の卿如きに打ち砕かれるかもしれない。 本人がそれを望んでも望まなくても、いずれはそうなる事だろう。

「生きているだけで、危険な奴だ」

まさしく、絶望という名を持つに相応しい、厄介な奴だ。

 

かたやその頃。

故郷の王家が静かに揺れているなどという事には全く関心を持っていない森霊ファリの若者が、気ままに鼻歌を交えながら一人旅としゃれ込んで早四日が過ぎていた。 今回の旅の目的は、とにかく東の地、二千デュロンを越える事だった。

二千デュロン……それは過去にゼスベルが遠出した最高の距離だ。 それを超える事が今回の旅の目標だ。 グランドウの地は本当に何処までも広い。 だが、そのグランドウですら、かつて到達しえなかった大地があると言われているのだから、この地は一体どこまで続いているのか、皆目見当が付かない。 とにかくまずはグランドウの地を制覇する事だ、ゼスベルの挑戦はそれからだった。

 

道中、およそ八五〇デュロン程来た頃だろうか、ゼスベルはかつてない殺気を感じた。 いや、正確には今までに感じた事の無い類の気だった。 何か分からないけれど、背筋から髪の一本一本までが底冷えするような悪寒に襲われる。

「……何だ?」

全神経を研ぎ澄ませ、何処からとも言えない殺気の正体を掴もうとしていると、突然四方から、どっと『何か』が沸きあがった。

(一体、どこから!)

それは、始め赤黒い塊のように見えた。 森霊なら誰でも耳にしてきた『グランドウの地』の歌にあるように、何も無かった頃の大地が沸き上がったのかと思った程だった。

 

だが、それは鋭利な爪を持っていた。

 

耳の痛くなるような、目まいを覚えるような咆哮を上げて、それらが膨れ上がっていく。 視界が無いのか、ただ何か気配のする方へ吸い寄せられるように、一斉にゼスベルのいる方に凄まじい勢いで群がってきた。

(多すぎる! いつの間にこんなに集まったんだ? )

驚きを隠せないまま、ゼスベルは抜き身の剣を片手に全速力で走った。 突破口を開く為、剣を振りかざし、切り払う毎に『何か』は靄か蜃気楼の如く薄れて消えていった。 消えていくのに、振り返ると全然数が減らないのだ。 いいや、それどころか益々増えてきている。

「まずいな……」

ひやりと背筋を伝った汗が、思いのほか冷たく感じた。 今までに遭遇したことの無い、少なくとも味方ではない『何か』の咆哮は益々大きく、強烈になっていく。 訳が分からないまま、ゼスベルはひたすら走り続けた。

 

「キーエ・サスドゥーン!」

 

そんな声が聞こえたと思うと、直後に後方で空気が爆発した……そんな感覚を覚えた。 思わず振り返ると、ゼスベルを追いかけていた『何か』が一瞬で崩れ去って消えていくところだった。 走る事も忘れて眺めている視線の先で、まるで始めから何も無かったような静寂が広がっている。

「……何が起こったんだ?」

事態が呑み込めず、唖然とするゼスベルを気遣うような年老いた声が再び響いた。 声のした方を振り向いてみると、そこにはいつの間にか老人が一人ひっそりと佇んでいた。

「大事無いかな、そこのお人?」

「今のは貴方が?」

老人は何も答えなかったが、その目は茶目っ気を含んで細められた。 それで察した。

「貴方は魔術師マゼウスですね?」

「いかにも。 よくお分かりになったな、見たところ森霊ファリのようじゃが?」

「日没の森のゼスベルと言います、ありがとうございました」

「お前さんが、ほう。 これはまた……」

自分の事を魔術師までが知っているらしい事に、ゼスベルは少々驚いた。

 

「先程のあれは、貴方の魔力なのですか?」

古い切り株の上に腰を下ろして、ゼスベルと老人はつかの間、会話していた。 魔術師が魔術師以外と話をするのは珍しい事だ。

「いいや、わしはただ『まだ、昼だ』と言っただけじゃよ」

「しかし……私には理解できませんでしたが」

「ああ、そうかもしれん。 わしはアリタル語で『まだ、昼だ』と言ったのじゃから」

「アリタル語? 確か、魔術師のみが話す言語ですね」

「よく知っておるな、お若いの。 いかにも、魔術師以外が話しても何の効果も無い、気難しい言語じゃよ」

「……では、『まだ、昼だ』と言っただけで消えたあれは何だったのですか?」

老人は眉をしかめた。

「あれは……おそらく悪鬼オンズじゃ」

「オンズ? 何ですか、それは?」

初めて聞いた言葉に、ゼスベルも眉をしかめる。 老人は僅かに躊躇った後、言いにくそうに口を開いたが、あまり多くは語らなかった。

「……オンズは、つまり気じゃ。 行き場を失った悲しい気じゃ。 今はまだあの程度で消えるが、やがては実体化してくるじゃろう。 旅を続けるのなら、よく気を付けなさい、お若いの」

「気が、実体化する? どういう事ですか?」

ゼスベルの問いに、老人はそれ以上応じようとはしなかった。 ただ静かに立ち上がり、去り際にポツリと忠告めいた謎の言葉を残していった。

 

「オンズが実体化する時、嘆きの時代が幕を開ける。 その時、心迷う事なかれ。 ひとたび呑まれたらば、ふたたび大地を拝む事は叶うまい」

 

老人は、結局名前も何の魔術師なのかも、何も明かさなかった。 だが、彼の残した強烈な魔力の余韻と、まるで詩吟の如き謎の言葉を、おそらく忘れる事は無いだろう。

何故かふと、そう思った。

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2004.03 掲載(2009.10 一部加筆修正)

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