裂けた大地の物語

ゼスベル哀歌---フォーヌ・ゼスベル

5.再会 --- ソール・ノク

謎の魔術師マゼウスとしか言えないもの静かな老人の去り際に残した言葉が、それからもずっとゼスベルの中で時々渦を巻いていた。 考えても、考えても理解できない。

一体、悪鬼オンズが気とはどういう意味なのか。

オンズが気なら、実体化するとはどういう事なのか。

そして、嘆きの時代とは一体なんの事だろうか。

どれもこれも森霊ファリの伝承歌には出てこないものばかりだ。 森と共に生きる森霊は、たいていの事は知っている。 今の森霊が知らなくても、森霊たちの祖グランドウが自分の見聞きした事を全て文書にして残している。 森霊なら何度も聞かされはずだが、魔術師の残した言葉は、まるで聞いた覚えの無いものばかりだった。

 

あの魔術師は、一体何を知っていると言うのだろう……

森霊ですら知らない、何を。

 

あの時以来、まだ悪鬼には遭遇していない。 あの時感じたような気配も無い。 あの事件そのものが、白昼夢だったのではないかと次第に疑い始めながら旅を続けて、ゼスベルは思わぬ再会を果たす事になった。

 

それは、故郷、日没の森から見て南東に九八〇デュロン程離れた、とある町での事だった。 人ごみの中、天候も良いというのに頭巾の付いた長い古びた外套をまとい、深々と頭巾を被った後姿。 賑わった街中には似つかわしくないもの静かさのわりに、歩みは恐ろしく速い。

まさか……

ゼスベルは後を追いかけた。 この町中をあんな格好をして歩くのは魔術師しかいない。 もしかしたら、悪鬼の事で何か聞けるかもしれない。 そう思って、何度も人ごみに消えかける人影をひたすら追った。

「ま、待って下さい!」

やっと肩を掴んだ時、外套の魔術師は振り返りざまに一喝した。

 

「何をするか、ばかもんっ!」

 

「い、石の老……!」

少々小汚くはあったが、老人の顔には確かに見覚えがあった。

「覚えていませんか、僕です。日没の森の……」

何かと食い下がろうとする森霊の若者の顔を、小器用に片眉だけ顰めて老人は暫し己の記憶を辿る。 そして、ようやく思い当たったと言わんばかりに深い溜息を吐いた。

「ああ、ゼスベル。 ……いきなり掴みかかってくるから誰かと思ったぞ」

「すみません。 どうしても聞きたい事があった人だと思って、つい……」

 

「一体何事だ?」

この魔術師と森霊という珍しい組み合わせは、人ごみを避け、町の外れの古い酒屋でゆっくりと腰を下ろす事になった。 一パイントの発泡酒を二つ運んできたゼスベルに、老人はにんまりと笑顔を見せた。

ゼスベルにとってこの老人は良き友人であり、また良き話し相手でもあった。 それは石の老の方でも同じで、彼らは時々会っては色々と話をしたものだ。

 

「しかし、お前さんから話を持ちかけてくるとは、また珍しいな?」

 

たいていは魔術師の性と言うべきか、老人の方から疑問に感じた事、不思議に思った事等を問答の一環のように話しかけるのだが、目の前のゼスベルは何やら深刻な表情を垣間見せる。

「ついこの間、貴方とは別の魔術師に会いました」

「ほう、珍しい事もあるものだ」

「名前も、何の魔術師であるかも明かさなかったのですが、とにかく危ないところを助けてもらったんです」

「お前さんが助けるのでなく、助けられたのか。 ますます珍しい事だな」

「その魔術師が最後に気になる事を言い残したんです。 貴方なら何か分かるんじゃないかと思って……その魔術師はこう言いました。 『オンズが実体化する時、嘆きの時代が始まる』と」

 

「何だと……?」

ゼスベルの予想以上に、石の老はうろたえた表情をみせた。 それが気になって、ゼスベルは更に尋ねた。

「やはり、何か知っているのですね?」

「……いや、知っているわけではない。 ただ、お前さんが誰にあったのかは分かった」

「誰なんですか、あの魔術師は?」

 

「アリタル語で、マゼウス・ノス・ゼフュー。 風の魔術師だ」

 

「風の魔術師……」

「わしの古くから交流のある友人の一人だ」

そう言った老人の表情が浮かないので、ゼスベルはますます気になった。

「ここ何百年、やつは姿を見せていない。 頃合を見て会いに行っても留守がちでな、長い事論も闘わせていなかったのだ」

「そう、なんですか……?」

「やつは確かに言ったんだな、嘆きの時代と?」

「はい。 その時心迷う事無かれ、呑まれてしまう、と」

ゼスベルの言葉を聞いて、老人は静かに溜息を吐いた。

「どういう事なんですか?」

「確たる事はわしにも分からんが、最近のやつはいつもそればかり気にしていた。 嘆きの時代が来る、嘆きの時代が始まると、まるでうわ言の様に言っていたのを思い出すわい」

魔術師の言う最近とは、決して一般的な時間軸でない事だけは確かだが、それを差し引いたとしても事態は意外と深刻であるらしいと、森霊であるゼスベルにも想像はできた。

「それで、オンズは気だとも言っていました」

「やつの口癖だった、悪鬼が現れるのは嘆きの時代の先触れだとな。 悪鬼とは、つまり死者の残した一種の念のようなものだ。 特に悲しみ、無念、嘆き、怒りにみられる遺恨の事をわしらは悪鬼オンズと呼んでおる」

 

「それに襲われたところを、僕は風の魔術師に助けてもらったのです」

 

「何だって、現れたのか、オンズが!」

石の老は慌てた様子でゼスベルを凝視した。 そして、どっと疲れたように脱力すると、深く考え込むように目を伏せた。

「嫌な予感とは当たるものだな。 やつの言ったとおりの事が起ころうとしている、というのか……」

「石の老、大丈夫ですか?」

「ああ。 だが誤算があったようだな、予想よりも拡大が早い……」

「どういう事です?」

「やつの試算では、既に数百年前から南の地では悪鬼が現れる現象が起こっていた。 それでやつは長年調べていたんだが、この辺りまで広がるには人間モルの時間でまだ四、五十年はかかると考えていたのだ。 気を付けた方がいい、ゼスベル。 ここら一体も時期に荒れる事になるだろう」

「はあ……」

 

魔術師を相手に話をすると、時々深みにはまる事がある。 いや、むしろ議論を好む彼らの性で、謎は謎のまま深まってしまうのがお約束でもある。 今度ばかりは相談相手を間違えたかもしれない……ゼスベルはふと、そう思った。

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2004.03 掲載(2009.10 一部加筆修正)

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