7.出会い --- ソール・ク
気配がするのだ。
いつぞやの
(人間とは少し違うな、森霊だろうか?)
気付いていない風を装いながら、暫くは神経を研ぎ澄ませていたが、やがて埒の明かない気配の探り合いよりも食事を優先させる事にした。 油断をするつもりは無かったが、まずは自分の腹を満たしておこうと考えた結果だった。
食事が三分の一程済んだ時、ゼスベルの背後、そう遠くない所でまた、はっきりと気配がした。 先程よりも確実に近付いている様子だ。 敵か味方かも分からない相手だけに迂闊に振り返る事はできない。 ふと足元に視線を落とした先に転がる小石に目がとまった瞬間に閃いた。
ゼスベルは静かに一呼吸おいて、それから勢いよく足元の小石を弾き上げると背後に向かって投げ飛ばし、その瞬間身を翻して愛用の剣を引き抜いた。 相手が悪鬼の類でなければ、充分剣で対抗できる。
小石の飛んだ藪の中から、大きな黒い塊が飛び出し間髪をおかずにゼスベルに飛び掛ってきた。 一見して、人間には無い素早さだった。
正体も分からないうちから、ゼスベルと何者かは剣で激しく打ち合った。 多少腕に覚えのあるゼスベルの剣にしっかり食らい付いてくる輩など滅多にいなかったが、その何者かは全く引けをとらなかった。 何か死に物狂いで向かってくる気負いは凄まじいものがあった。
少々気押され気味だったゼスベルは、正直内心ではひやりとしていたが、何やら大きな間の抜けた音が聞こえたと思うと、相手は急に弱った。 僅かに鈍った剣先の隙をつき、自らの剣を返して相手の得物を弾き飛ばしたゼスベルは、すかさず切っ先を相手の喉首に宛がって寸止めた。
「は、腹減った……」
がっくりと膝をつき弱々しく発せられたその一言で、先程の音がこいつの腹の虫だった事が分かり、ゼスベルはあんぐりと間を抜かした。
しかも、よく見ると腹を減らしているこの男の風貌は、
「お前、森霊なのか」
「いやぁ〜、生き返ったぁ〜!」
ゼスベルの食料を半分食べ尽した後、不審な森霊野郎は満足げにのけぞった。
「よく食うな。 一体、何日食べてなかったんだ?」
呆れ返って食欲を無くしたゼスベルは、とりあえず飲み物だけを片手に、目の前でのけぞっている森霊野郎に尋ねる。 森霊野郎は、ふとゼスベルの方を見ると体勢を戻して改めて礼を言った。
「ほんと助かった、悪かったな食料半分平らげちまってよ。 ここ半年ろくに食事にありついてなくってな。 つい、がっついちまった」
「半年? 何だってまた」
「いや、ちょっと事情があってだな……」
森霊野郎は下手な笑いを浮かべながら語尾を濁した。 事情とやらが、何やら表沙汰にしにくい事なのだろうと察しがついて、ゼスベルはそれ以上何も尋ねようとはしなかった。 元々、厄介事には近づきたくない性分が無意識にそうさせたのかもしれない。
「まあ、いい。 それにしても随分腕が立つんだな、驚いた」
「それは、そっくりそのままお前に返すぜ。 あの無防備な体勢でまさか石が飛んでくるとは思わなかったからな、焦ったぜ」
「丁度良い所に転がってたからな。 とっさの思い付きだ」
「っかーぁ! 言うねぇ、キザ野郎!」
森霊野郎は頭を二、三回軽く振ると、ゼスベルの肩を力任せに叩いてみせた。 少々乱暴な奴だが、元々は気の良い、根は悪い奴ではないらしい。 ゼスベルは叩かれた肩をさすりながら、小さく苦笑をこぼした。 妙な縁に巡り合うのも旅の醍醐味と思えば、それなりに悪い気はしない。
「そうか、お前は一人旅か。 そいつは気楽だな」
「お前は違うのか?」
日も落ちて辺りがすっかり暗くなっても、二人の森霊は話を続けていた。 ゼスベルの問いかけに、森霊野郎は静かに目の前で燃えている焚き火を眺めて押し黙った。 どうやら、これも『事情』の一環のようだ。 内心で「しまった」と思いながらゼスベルは違う話題を探したが、やがて相手は意を決したように口を開いた。
「……俺の森は、今ちょっと荒れててな。 と言っても、暴動が起きているとか言うんじゃない。 見た目には相変わらず平和な国だ。 ただ、森全体の空気が穏やかじゃなくなってきた」
「どういう事だ?」
「つまり、森霊たちが不安や不信感を抱き始めたって事だ、今の体制に。 元老たちの行動が、何かおかしいんだ」
「おかしいって?」
「裏で何かしているんじゃないかって事だよ。 以前から噂が全く無かったわけじゃないが、どうも今までとは様子が違う気がしてならないんだ。 俺たちが不審に思い始めたのは五十年前の、ある事件の後だ」
「五十年前……」
ゼスベルの中で、ふと何かが引っ掛かった。 人間の里で老農夫から聞いた話を唐突に思い出したのだ。
「ああ。 忌まわしい事件だった、あれは」
「もしかして、それって森霊の
「知ってるのか? ……かもな。 人間も巻き込んだ事件だったからな」
「差し支えなければ、聞かせてくれないか、その話」
ゼスベル自身、明らかに厄介事だと妙な確信を抱いているにも拘らず、何故聞き返してしまったのかと思いながらも知りたいと思った。 森霊野郎はしばらく押し黙って焚き火を見つめていた。 それから、重たい口振りで静かに話し始めた。 地面に潜るような低い声だった。
「事の発端は、一人の森霊のガキだった。 森霊っても、そいつは純血じゃない。 森霊と人間の間に出来た半端者だったんだ」
「半端者?」
「そうさ、上手く混ざったなってくらい風貌も中途半端。 森から離れて育った所為で、未成熟で虚弱なガキだった。 そのガキを森霊の血を引いているってだけで人間の元から奪い返したものの、半端者は所詮半端者。 純血の森霊の中で馴染む筈が無かった。 そのまま森に置いていた所為で、奴はとんでもない事をしでかした」
「何をしたんだ?」
「法を犯した。 森霊の森に生きる動植物は、何があろうと決して持ち出してはならない。 森で育った森霊なら当たり前の禁忌だが、奴は人間に流していたんだ。 それだけじゃねぇ、挙句、奴はそれらを人間もろとも家ごと焼き払ったんだ」
森霊野郎の口調には、およそ激しい憎しみに近い憤りが感じられた。 森で育った者としての言い分はもっともだった。 だが、ゼスベルにはどうしても解せない部分があった。
「それで、追放されたのか? まだ幼年期だったのだろう?」
「幼年期でも危険分子だった。 あいつ一人の為に森が危機に晒される可能性があったんだ。 人間の中で育って、思考も行動も人間かぶれし過ぎていた。 奴は平気で森霊を敵に回す奴だったんだ。 追放されても当然だった。 二度と森に危害を加えないように、背徳の烙印を押されて追放されたんだ」
「背徳の烙印! 冗談だろ!」
思わずゼスベルは声を上げた。 まだ魔力も持たない森霊の幼年期を、背徳者にして放り出すのは、いくら何でも行き過ぎだ。
「事実だ。 だが、お前の言う通りだ、行き過ぎた厳罰だ。 当時は誰も何も知らされていなかったが、まさかそんな事になっているとは思いもしなかった。 その事が何処からか漏れて噂になってから、元老たちの締め付けが目に余るものになった。 森霊たちは一層、不審を抱くようになった。 ……そういう意味で、やっぱり危険分子だったのかもな。 いなくなってからも、あいつは森を危機に晒している」
それ以上は、貝の如く口を閉ざしてしまった。 ただ両手を硬く握りしめ、じっと焚き火を睨み付けるばかりだ。 ゼスベルも何を言って良いのか思いつかず、しばらく辺りは夜風の音と焚き火の跳ねる小さな音、それからかすかな小動物の気配だけに包まれていた。 どれくらい黙っていたのか分からないが、気が付くと冷え込みが厳しくなっていた。
「……東風に変わったな。 朝が近い」
やっと森霊野郎が口を開いた。 言われて見上げてみたが、まだ空は暗い。 だが、風の向きが変わったのは確かだった。
「俺、もう行くわ、色々と助かった。 ところで、まだ名前を言ってなかったよな? 俺はガラだ」
「ゼスベルだ」
「ゼスベル? 日没の森の? 道理で変わった奴だと思った!」
「……」
自分の事だが、どういう風に人の耳に入っているのか、この時ばかりはさすがに気になったが、それ以上は気にしない事にして、ゼスベルは差し出された手を握り返した。