裂けた大地の物語

ゼスベル哀歌---フォーヌ・ゼスベル

12.灯火の夜---ニール・ルミア

集会での一件以来、グラニアスとの接点は極力減った。 もっとも、ロスとなったグラニアスと、末端王族のはみ出し者であるゼスベルとでは、立場を考えると当然の事だ。 もともとお互い相容れない存在であったのだから、むしろ気楽な筈だった。

だが、それだけでは説明しきれない隔たりが出来たのは事実だ。 グラニアス奇襲事件は、一部の森霊ファリたちしか知らない。 新王に立ったばかりだと言うのに、周辺で事を荒立てたくないという思惑から、一般の森霊たちには一切口外されなかった。

けれど、ゼスベルに対する疑惑と警戒の態勢は明らかなものだった。 あの時の状況を考えると、それも仕方の無い事かもしれない……いつの間にか、ゼスベルが犯人のようなとらえ方をしている者が増えていた。 それはつまり、当事者であるグラニアスもゼスベルも沈黙を守っていたという事に他ならない。

 

グラニアスが何をどう思って黙っているのかは分からない。 そして、ゼスベルの方は、ガラからの警告めいたあの言葉が引っ掛かり、やはり口に出せないでいた。 ガラの口振りからして、おそらく悪鬼オンズや嘆きの時代に関する事件に関わって、連行されたきり消息不明の森霊は実際にいるのだろう。

そうまでして隠し通さなければならない『嘆きの時代』とは、一体何なのだろう。 石の老や風の魔術師が言っていた『荒れた』事態とどう関係していると言うのだろう。 考えれば、考えるだけ、謎が深まるばかりだった。

分からない事が多すぎる。

多すぎて解決する間もなく、次の謎がたたみかけてくる。

「何がどうなっているのか、全く訳が分からない……」

自分の家の中でくつろいでいるわけだが、外の見張りの気配は充分に察知できた。 一応、極秘に警備を強化しているらしいが、ゼスベルにとってはお遊びのようなものでしかなかった。

 

気付いてはいたが、ややこしい事になるのは請け合い、あえて気付かない振りをして過ごしていた。 決して気分の良いものではなかったが、周囲を騒がしくしないだけまだマシだった。

ぞく……っ

「……っ!」

身の毛が弥立つ……そんな表現しか思いつかない気配を時々感じる。 姿かたちは見せなくても、ここ最近悪鬼の気配は日ごとに増してくるようだ。 日没の森も、今や決して安全とは言えない。 いつ何時、オンズやスカイエが出没するか分からない。 そんな状況になりつつあるのだ。

「駄目だ、やっぱり伝えないと……」

オンズが現れてしまってからでは、遅い。 ゼスベルは密かに決心して起き上がると、夜になるのを待ってそっとその場を動いたのだった。

 

王城に潜入するのは、それ程大変な事でもなかった。 奇襲事件の直後だから、もっと厳重な警備でも良いと思ったのだが、気を張り詰めていた分ゼスベルの食った肩透かしは、なかなか大きなものだった。 とはいえ、それはあくまでもゼスベルだから成し得た潜入方法だった。

 

「グラニアス」

呼ばれて振り返ると、そこには全身水浸しの森霊が立っているではないか。 日没の森の新王は、唖然としつつもその侵入者の名前を声に出した。

「ゼスベル……お前、その格好は一体何なんだ?」

正確にはそれ以前の問題だったが、ゼスベルの方は頭を掻きながら飄々としている。 この神出鬼没の森霊の若者をよく知るグラニアスだからこそ、今更そんな事をとやかく言う気はさらさらない。

 

「裏の用水路の警備は、もう少し増やした方がいいと思うんだが……こうもアッサリ潜入出来るのは問題じゃないか?」

「お前が言う事ではないだろう」

「それは、その通りなんだが思ったよりも少なかったから」

それでも少しは警備の森霊がいた筈だ。 それを尋ねるとゼスベルは、むしろ何かが引っかかるような表情を見せながら、言いにくそうに口を開いた。

 

「ほとんど機能していないんじゃないか、半分は寝ているようにも見えた」

 

それを聞いてグラニアスが頭を押さえたのは容易に想像がつく。 寝ている警備も警備だが、わざわざ用水路を潜ってくる王族もいないだろう、普通は。 と言ったところで、ゼスベルは既にはみ出し者の看板を持つ森霊だ、常識が通用しなくても納得がいく……と言えば、いく。

「お前の腕前は重々承知しているが……武器も持たずに良くここまで来れたものだ。 で、そうまでして侵入してきた理由は何だ?」

「どうしても知らせておきたかったんだ、俺が魔術師マゼウスたちから聞いた事と、俺自身が見てきた事を」

滴る水粒を拭うでも絞るでもなく、ゼスベルは表情を改めてグラニアスに向き合った。 とても上手く説明する自信は無かったが、それでも自分が聞いた言葉は正確に反芻する事くらいは出来る。

グラニアスは決して暗愚な王ではない。 きっと理解してくれる。 人一倍の責任感を持つ生真面目な森霊だから。 そう信じてゼスベルは静かに語り始め、グラニアスもじっと黙って耳を傾けていた。

 

「では、お前は既にオンズがこの付近まで来ていると、そう言うのか?」

「ああ、間違えたくても無理だ。オンズに武器は通用しない。 通用するとしたら、それは何らかの犠牲が伴う時だけだ」

「犠牲?」

少し訝しげに眉をしかめて見せたグラニアスの手当てされた片腕に、ゼスベルは静かに視線を移した。 つられたように視線を辿った先で、グラニアスは一瞬全身を引きつらせたように強張らせたが、それ以上に大きな反応は示さなかった。

「それで、お前はどうするつもりなんだ?」

「まだオンズは実体化していない。 今ならまだマゼウスの言葉で撃退出来る。 俺は探しに行こうと思う、まだ間に合う内にマゼウスを探し出して連れて来る」

「何処に居るのか、分かっているのか?」

「いいや。でも、まるで手がかりが無いわけじゃない」

 

「無謀だな」

グラニアスは呆れたように呟いた。 だが、決して小馬鹿にしたような口振りではなかった。 むしろ、ゼスベルの言葉を真剣に受け止めている。 グラニアスなら、或いは理解してくれるかもしれない。 立ち上がってくれるかもしれない。

そんなロウソクの火のような希望が持てた事は、むしろ喜ぶべき事だろう。 だが、説明と説得に必死になっていたゼスベルは、全く気付いていなかった。 グラニアスの執務室の隣で、物音一つ立てずに、いや、呼吸する気配すらさせずに聞き耳を立てている輩がいた事になどには、全く。

 

「……嘆きの時代、か」

グラニアスの呟きは、とても重く、またとても硬いものだった。 床に落ちれば鈍い音を立てそうな、そんな響きがあった。

「俺にも実際には何の事だか分からない。だからこそ、知りたいんだ」

「なるほど、同感だな」

その一言に、ゼスベルは思わずグラニアスを凝視した。 今まで一度たりとも、意見が一致した事など無かったのだから、驚きもする。

もしかしたら、グラニアスは本当に、この日没の森を変えられるかもしれない。 いいや、きっと森霊たちの祖グランドウ以来の偉大な王となる事だろう。

「きっとマゼウスを探し出して連れて来る。約束する。だから」

「行けばいい」

その短い一言が、ゼスベルの最後まで残っていた迷いに止めを刺した。 ぱっと向けられた表情の明るさや、醸し出す雰囲気が一気に熱を帯びたようにも感じられた。

「ありがとう……!」

それだけを言い残して、ゼスベルは再び夜の闇の中を駆け、あっという間に溶け込んでいった。 相手がグラニアスで良かった、今ならまだ間に合う。 間に合う筈だ。

自分は何としても魔術師を探し出さなければ……きっと見つけて連れて来なければ。 そう思い巡らせながら王城を出て直後、ゼスベルは突如全身を駆け抜けた鈍痛に足を止めざるを得なかった。 とっさに察知した気配をかわし、すかさず拳を食らわせたが、 その直後、今度は複数人の気配と共に雨のような連撃を食らわされて転倒し、 激痛の中、意識も霞の彼方へ飛んでしまった。

作中に登場するカタカナの読みは、一部造語です。 予め、ご了承ください。

2004.04 掲載(2010.04 一部加筆修正)

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