13.行方不明---ウーノーン
十幾日目かの朝。
度々様子を覗きに行ったにもかかわらず、ゼスベルはいつも不在だった。
「……ゼスベル?」
いつの間にか旅に出てしまったのだろうか?
でも、森から出た形跡は無い。 一応常に森の出入り口では見張らせているし、 普段はゼスベル自身もヒンシュクの視線の中、実に堂々と出て行くというのに。
グロリアが勝手にゼスベルの家に上がりこむのは毎度の事だが、家中何処を探しても影も形も無い。
「本当に、何処に行っちゃったのかしら……?」
今までは、こんな事は一度も無かった。
そして、ふとゼスベルの自室で見つけてしまったのだ。
それは一振りの剣。
恐る恐る手にとって見ると、自分の手には余る重さ、そして長さ。 力いっぱい引っ張ると少しだけ刀身が現れた。 小さく澄んだ音を響かせる、念入りに手入れされたその剣は、間違いなくゼスベルの愛用する一振だった。
「やっぱり、ゼスベルはいるんだわ。でも、何処に?」
少なくとも家にはいない。付近にもいない。
だが、この剣を置いて旅に出る筈は、もっと無い。
「何か、あったのかしら……」
主のいない、この森外れの静かな家は何やら穏やかでない沈黙を守っていた。
「グラニアス、一体ゼスベルは何処へ行ったの?」
真昼間から執務室に乗り込んできた妹に、王は呆気に取られて俄かに顔を上げた。
「いきなり、どうしたんだ。私は忙しいのだが?」
「貴方なら知っているんじゃない、ゼスベルが何処にいるか?」
「一体何の事だ?」
「ゼスベルがいないのよ、何処を探しても!」
「また、旅に出たのではないのか?」
再び卓上の書類や手紙といったものに目を移して、グラニアスは適当にあしらうように答えると、執務を続行する。 だが、グロリアがそれで引き下がるわけも納得するわけもなく、むしろ勇ましく歩み寄ると、ばんっと大きな音をさせて執務机に両手をついた。 そのあまりの衝撃で、積んであった書物が数冊、音を立てて崩れ落ちてしまった。
グラニアスは小さく溜息を吐くと、再び顔を上げた。 目の前の妹は、柳眉を吊り上げて自分を睨み付けていた。
「何の前触れも無くゼスベルが消えるのは、これが初めてじゃないだろう? お前が一番良く知っているのではなかったのか、なぜ今更そんな事で騒ぐ必要がある」
「ええ、勿論知っているわ! だからこそ、おかしいと言っているんじゃない! ゼスベルは今まで一度も旅に出るのに自分の剣を置いて行ったりしなかったわ!」
「剣を、置いているのか?」
「剣だけじゃないわ、短刀も籠手も……荷物だって全部置きっぱなしなのよ!」
「何と……」
「一体、何も持たずに何処に行ったというの?」
グロリアの指摘に、グラニアスの思慮深い眉間に深い皺が寄る。 確かに、帰りがいつになるとも分からない旅に、荷物を一切合切置いていくのはおかしな話だ。 もっとも、本人が身軽になる為にあえて置いていった事は充分考えられる。 だが、愛用の剣まで置いていくのは、いささか無理のある解釈だった。
特に、ゼスベルの言うとおり危険が迫っているのなら、尚更置いていく筈がない。 そう考えたグラニアスの脳裏に、不穏な憶測が閃いた。
まさか……
「本当にグラニアスでも知らないの?」
しかし、ただの憶測だ。 特に今、彼の妹は俄かに取り乱している。 これ以上、事が荒立っては収まるものも、収まらなくなる事は明白だ。 黙っているより、他はない。
「ああ、知らない。 頼むから、これ以上邪魔をしないでくれ、グロリア。 私は忙しい」
まだまだグロリアは納得できなかったが、それでも兄とはいえ、王となったグラニアスにこれ以上食い下がる事は躊躇われた。 現在の兄の忙しさは、以前のそれとは遥かに比べ物にならない。
追い出されて、暫くはその場でしかめっ面で佇んでいたが、やがて諦めて足音も荒く歩き去っていった。 ドアの向こうでグロリアの気配が去った後、グラニアスは深刻な表情で考え込んでいた。
武器も持たずに、一体何処へ行ったというのか……
いくら腕に自信があるとはいえ、そんな無謀な事をするとは思えない。
何か、あったのだろうか。
何があったというのか。
遠い意識の向こうで、体中が、何かを無理やり引き剥がす時にも似た、奇怪な音を立てていた。
「う……」
薄ぼんやりとした視界に入ってくるものは何も無かった。 ただ、麻痺した全身で辛うじて感じ取れるのは、重苦しい空気と冷たく硬い地盤、 それからひどく水っぽい匂いが鼻の奥まで届く。
ここは、どこだ……?
視界がようやく物を見れるようになったのは、それからだいぶ後の事だった。 どの位時間が経ったのか――そんな事は、考えるだけ無駄のような気がした。 目が見え始めても、身体が動くようになるまでには更に時間が必要だった。
「あ、いってて……ごほっ」
唐突に肺に送り込まれる空気に咽ながら、何とか起き上がれたものの、とにかく全身が痛くて仕方が無い。 改めて自分の満身創痍ぶりに、驚きを通り越して感心する。
「骨折れてないのが奇跡だな……」
いや、ひょっとしたら、ヒビくらいは入っているかもしれないが……とにかく生きているのは確かだ。 あれだけ間の悪い夜襲に遭って、一命は取り留めているのだから、儲けものだ。
身動きする度に体中のあちこちが、不可思議な音を立てる。 それに伴い、もれなく激痛、鈍痛の類が付いてくる。 特に起き上がった時に右足と左腕が痛んだ。 何とか這いずり、四苦八苦して壁のような岩にもたれ込んだ。
「ふぅっ……」
疲れた。
ほんの数十歩程度進んだだけで、既に息が上がっている。 全身から汗を噴き出して、軽く咳き込むと、口の中に血の味が滲んだ。 自分の身体ながら、頭の先から足の先までまるで壊れた組み木のようだった。
何が、あったんだっけ……?
まだ霧がかかったみたいな頭で、少しずつ状況を思い出そうとすると、またまた頭痛がする。 だが、痛みがすればする程、案外記憶というものは戻ってくるようだ。
そうだ、森を出て
王城を出て、少しもしない内に誰だか複数人に襲われた。
頭を思いっきり殴られた衝撃で気を失ったんだ、確か。 何度か全身を殴られ蹴られされていたような気もするが、その後、一体これはどうなったのだろう?
ゆっくり周囲に目を凝らして、ゼスベルは生き物の気配がないか探ってみた。 勘は全然冴えていない。 これでは仮にそこらに誰かが潜んでいたとしても、ろくに気付く事は出来ないだろう。
そっと上を見上げてみると、天井は恐ろしく高かった。 こんな所に、あの状況を考えて自力で来れる筈が無い。 きっと、ここに閉じ込められたか、捨て込まれたかしたのだろう。
考えられるに、どうやらゼスベルは誘拐されたようだ。 情況が悪すぎて、かえって犯人達の目的は丸分かりだ。
おそらく、『嘆きの時代』について詮索する事を望まない連中の仕業だ。 特定の個人までは断定できなくても、少なくとも日没の森にもそういう連中がいる事は明白だ。 一体、どうして。
何処までも高い天井を見上げて、ゼスベルはふと懸念した。
グラニアスが、巻き込まれなければいいけれど……