短編集

ヒメコウゾ

ヒメコウゾ

ひひさん、ひひさん、遊んでおくれ。

掌でころりとすると、ひひさんはポンと鳴った。 優しいお顔でじっとこちらを見て、ええ、いいですよと静かに陰りのある微笑を浮かべた。 目の前で無邪気に喜ぶ姿を見て、手にした扇がポンと鳴った。

あくる日も飽く事無く、ひひさんときゃっきゃと遊ぶ声が家の外にまでよく響いた。 何かの拍子にひひさんがポンと音を立てると、その度に紅葉のような手を打って喜ぶ姿が縁側からもよく見えた。

 

その手が一回り大きくなった頃、良く響く笑い声は弱々しく咳き込む音に変わっていた。 頭も上がらなくなった枕元で、ひひさんは変わらない微笑をすっかり曇らせて座っていた。 弱々しい指先を伸ばすと、ひひさんは全身を震わせてポンと鳴った。 優しくも悲しい小さな小さなポンだった。 それが、ひひさんの立てた最後の音だった。

その年が明けて上巳の日、ひひさんは一人行ってしまった。 緩やかな流れの浅瀬にそっと降ろされて、幾重にもなる紙畳の上に凛と腰を下ろし、前を見据えて流れていった。 渦に巻かれ急流に呑まれ、勢いのまま滑るように消えていった。

 

弱々しかった手は更に一回り、二回りと白くほっそりとした優しい表情を見せて大きくなった。 ひひさんが流されて数日後、嘘のように元気を取り戻し、今ではすっかり素敵な娘さんとなり、望まれて嫁ぐ日を間近に控えていた。 それでも時々、空耳にポンと聞こえる事がある。 あら、まただわと小首を傾げながらも、心の内でそっと囁きかけてみる。

ひひさん、ひひさん、遊んでおくれ。 今日も一緒に、遊んでおくれ。

ええ、いいですよと返ってくるかもしれないと、今日もまた息を潜めてそっと耳を澄ませた。

H18年度開催『千文字世界−禁断の果実−』投稿作品をちょっと手直ししました。

2006.03.26 掲載

Copyright© Kan KOHIRO All Rights Reserved.