短編集

マッチ棒

マッチ棒

ここに越してきて、初めての春がきました。 はち切れんばかりに花を抱いた桜の木を見て、何だか嬉しくなりました。 ここでもうまくやっていけるような気がして、ずんずんとその限られた空間で、一生懸命根付く努力をしました。 まだまだ新米の細々とした形の仲間達が、きちりと一列に整列していました。 彼らとも、これからうまくやっていけるように、密かに天に向かって祈りました。

 

限られた空間で、伸びれるだけ伸びました。 春の陽気な日差しから、徐々に刺すような陽光に変化してゆく中、みんなすぐ脇を行き交うというのに、なかなか気付いてくれません。 夏の間、照りつける日差しからほんの一時逃れると、汗を拭きながらほっとする様をすぐ傍で見ていたんですよ。 けれど、みんなこちらを振り向いてくれませんでした。

 

そんなこんなで段々と暑さが和らいできました。 遅い遅い夏の終わりでした。

風が冷たくなってきました。 まだまだ紅葉には程遠いけれど、秋は確実に近づいてきました。 都会の片隅で、ひっそりと一列に並んで四方八方天にも届くように大きく大きく背伸びをしました。

夏の気配が息を潜める中、どんどんと秋の気配が強く大きくなってきました。 行き交う人達が徐々に厚着になってゆくのを、ずっとずっと見ていたんですよ。 そして、その間も大きく大きく育っていました。

可愛い子供達が沢山、沢山出来ました。 秋の本番までの準備は着実に整っていきました。 もうすぐです、来月には綺麗な綺麗な黄色になるはずです。 この都会の片隅で、その瞬間を今か今かと待っているのです。 今はまだ青くて、まだまだ小さいけれど、これから綺麗に変貌するのです。

生涯最高の瞬間が、待っているのです。

 

一台の造園業社の作業車がすぐ傍らに停まりました。 作業着にヘルメットの人達が、五人降りてきました。 ロープや箒やゴミ袋を持っていました。 最後に降りてきた人の手には、鈍く光る鉄の塊が握られていました。

 

列の一番端の木が、鈍い音を立てる鉄の板を当てられました。 彼は怯えていました。

やめてくれ、やめてくれ、まだ青いんだ、まだ……そんな悲鳴が、鈍い音の合間に聞こえました。 彼の枝葉はことごとく取り払われました。 大きく育った枝や葉は、無残にアスファルトの上に打ち付けられ、無造作にゴミ袋に詰め込まれて作業車に押し潰されていきました。

枝葉を払われた後の彼は、まるで心が砕けてしまったように呆然としていました。 彼の後ろにいた木が、次に枝葉を払われていきました。 彼の枝はなかなか切れませんでした。 作業する人たちは少々手こずった様子を見せましたが、彼もすっかり枝を払われてしまいました。

 

そうやって、次々と夏の間必死に伸ばした枝は、容赦なく落とされていきました。 自分を通り過ぎた後も、後ろでは悲鳴が延々と続いていました。 足元に打ち捨てられた銀杏たちが、無残にも踏みつけられ轢かれて潰れていきました。 まだまだ小さな子供達は、アスファルトの上でそうやって、ぐちゃぐちゃになって終わっていきました。

生涯で最高の瞬間を迎える事無く、彼らはただ狭い四角い地面から伸びる、一本のぼてっとした棒になりました。 天辺だけ、辛うじて残った枝の膨らみを、遠くから眺めるとまるで哀れなマッチ棒でした。 本当に哀れな、ぼこぼこで顔色の悪い、マッチ棒でした。

毎年秋が近づくと、近所の銀杏の街路樹は見るも無残な刈られ方をします。 素人目にも造園業で報酬を得ているのを疑うくらい、酷い伐採のされ方なのです。

2005.10.17 掲載(2009.08 一部加筆修正)

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